2004年5月アーカイブ

♪すれ違いのお話

園長: すぎもと かずひさ (2004年5月 1日
 緑まばゆい公園に甲高い子どもの泣き声が響く。振り返るとフィールド・アスレチックの途中でにっちもさっちもいかなくなった3歳ぐらいの男の子がお父さんと思しき人物に鍛えられている真っ最中だ。たくましく育って欲しい親の願いと恐怖におののく子どもの思いが錯綜する。
 川原でバーベキューをする傍らで、子どもたちが数人楽しそうに遊んでいる。突然、その輪の中に、ひとりのお母さんが参加する。ひとしきり楽しんだ後、彼女はバーベキューに戻ってなかまとおしゃべりを始める。子どもたちは、もっとあそぼうと寄っていく。疲労を口実に、体よく子どもたちの誘いを断る彼女。満足を味わった大人の勝手とまだまだあそんで欲しい子どもの思いがすれ違う。
 こんなことは日常茶飯事である。共感したり、すれ違ったりしながら、親子関係は紡がれる。ときには意図的に必要なことをしつけたり、わがままに育たぬよう、我慢を強いたりすることもあるであろう。そのような場合はさておき、大人がまったく、すれ違い自体を意識していなかったり、気づかなかったりというようなことがないだろうか?どうでもいいようなときに大人勝手に関わり、子どもが必要としている肝心なときに関わらないことが続くと、親が望めば望むほど子どもはそっぽ向くというような事態にもなりかねない。子どもと大人の思いがすれ違っていることへの気づきやその理由を知ることは、親自身の成長のチャンスであり、ひいては親子関係にとても大切なことと考える所以である。何気なく過ごしている日常のさまざまな場面や状況が、子どもの意思によるものか、大人によるものかを意識してみよう。
 子どもが苦手なことを克服するとき、不安を支える心のよりどころが必要になる。新たなことに挑戦するとき、わずかな歩みへの感謝が欠かせない。身近な人に共感してもらうことや認めてもらうことは、なによりもうれしいことであろう。
しつこいほどの「なぁ、みててや!」に「もう、いっぺんだけやで」と言葉で応え、強い口調ですれ違う。

月別 アーカイブ