2008年2月アーカイブ

♪「保育は芸術」のお話

園長: すぎもと かずひさ (2008年2月 1日

「いい人生を歩んでいるといい音がする」と朗らかに言葉躍らせたのは、久々のニュー・アルバムについてのインタビューに応えた、とあるシンガーソングライター。
「うん。わかっていらっしゃる」と思わずうなずいたわたしは、ドラマーの友人が「健康でないといい太鼓がたたけない。その日の体調や精神状態がもろに音に出る。」と口癖のように語っていた風景を蘇らせた。
これは何も音楽に限ったことではない。
スポーツであればなおのこと顕著にその影響が表れることだろうし、わたしたちの日常のひとつひとつがまさに同じことだろう。
あらゆる行動には'Body&Soul(からだと精神)'丸ごとのその人自身が宿らずにはいられないからである。

 ある保育士がニコニコしながらテーブルを拭いている。その様子を見ていた子供が不思議そうに声をかけた。

子:「せんせぇ、何でわらってるのん?」
保:「へっ?何でと思う?」
子:「わからん!」
保:「あのね、先生はこのテーブルが木やったときのことを思って森をお散歩しててん。」
子:「ちゃうわ、ここにいるやんか!」
保:「そうやな、先生ここにいるけどな、心の中でお散歩してたん。あ 鳥さんの声、~ちゃんもいっしょに行ってみよう。」
子:「うん!」

  このような会話は掃除をただ作業的に行っていたのでは生まれてこない。
掃除の中に夢を見、詩情を持ちつつ行うからこそ生まれる言葉の群れであり、イメージの泉である。
こんなおとぎ話的空気が子どもたちは大好きだ。

 あそびにしても同じである。
何かをして遊ぶ「何か」、例えば鬼ごっこであれば「鬼ごっこ」というあそびの方法・様式にも当然のごとく意味がある。
しかし、それ以上にそれぞれの場面に生きて関わるその人自身の在り様が大切なのだ。
どんな鬼をしたら子どもが歓ぶかな?と自らに問いかけ、子ども(他者)の為に行動しようとするのではなく、自分自身があそび心に充ちて鬼と化しているとき、その人の存在そのものが既にあそびになっているという感覚である。

 このように日常を生きていくと、いたるところが詩情にあふれ、あそび心に充ちてくる。
保育は芸術そのものである。

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