2012年8月アーカイブ

 六地蔵の町並交差点が山科川の堤防の決壊で冠水し、舟で渡らせてもらった幼い日の記憶が蘇る。それをはるかに超える先般の豪雨であった。

 

 豪雨に普段より早めの登園準備をしていた朝5時半、通勤途中の職員から「京滋バイパス側道が冠水して通れない」との一報。ほどなく、別の職員から府道六地蔵~宇治線の菟道出口付近の冠水情報とともに、自宅自治会の人たちと協力して対応にあたるため、出勤不能との知らせを受ける。ただ事ではない。ようやく出勤してきた職員はひざまくりである。戦川があふれ車での通行が不能のため自家用車を途中のコンビニエンス・ストアーにおかせてもらい三室戸駅周辺まで川さながらになった旧道を徒歩で来たという。

 

 浸水、断水、停電等の情報が職員宅からつぎつぎに入ってくる。京阪、近鉄、JRすべての電車がストップし、京都、奈良方面からの電車通勤はかなわない。木幡分園へ車で向かった職員からも隠元橋を越えたあたりの道中で立ち往生している旨の連絡が入る。鳴り止まぬ電話、救急と消防のサイレン・・・。

    

 登園される保護者さん、配達の業者さん、出勤してくる職員とのやり取りや自宅作業中の職員から得たわずかな情報、テレビ、インターネットの気象・災害情報を頼りに園児の安全とその日の段取り、保育の準備を進める。しかし、まちの状況や被害の全容を把握するには遠く及ばない。

 

 職員とともに関係者への罹災・被害確認、手伝いの要・不要の確認を終え、ひと段落ついた昼前に外へ。見たことのない光景にいたたまれなくなった職員が道の片付けを提案、すぐさま、数人で出向いた。辻々で作業する人々、その表情、服装、道一本隔てただけで、こんなにも状況が変わるものかとため息が出る。被害にあわれた方々の胸中を思い何かできないものかと思案する。復旧作業に専念できるよう乳幼児から小学生までを受け入れる罹災者保育サービスを開始する。

 

 翌日からは、早々に立ち上がった災害ボランティアセンターへ出向き、資材の運搬、家屋の泥だし、ボランティアの作業場所までの輸送等をおこなった。特に被害の大きかった木幡、菟道、志津川、笠取、炭山の方々の中には、今もなお復旧途上の方がおられる。今後も一雨ごとに不安にさいなまれる方々がおられる。日ごろから園運営に深く携わっていただいている方のお宅も一棟が仕事道具ごと全壊し、深くこころを痛められたことである。

 

 保護者のみなさんや関係者の方々との連携をはじめ、この間の一つひとつの体験は必ず活かされることであろう。東北の彼の地をはじめ、全国津々浦々から訪れてくれたみなさんや保護者のみなさんの励ましにお礼申し上げるとともに、被害にあわれたみなさんにこころからのお見舞いを申し上げたい。

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