2014年4月アーカイブ

チューリップの「心の旅」という大好きな歌がある。

私の十八番であり、 「あ~だから今夜だけは~君を抱いていたい~」と歌い出すと、いつしか仲間で合唱になる名曲である。


その昔、テレビのインタビューで作詞・作曲者である財津和夫さんがチューリップというバンド名の由来について尋ねられている場面があった。

財津氏曰く「子どもが一番最初に絵に描き親しむ花がチューリップだから」とのことであった。

他の由来も仰ったのかもしれないが、さすがは創造を生業とするアーティストのお言葉として、「創造の根源は子ども心」と考えていた私の心に鮮明に残り、やがて、木幡分園を命名するときの参考にさせてもらうことになる。


木幡分園の名称は「さんりん舎」という。

文字通り「三輪車」である。

三つの輪は、保育園のロゴになっている「情・動・知」の三つの太陽、「親・子・孫」の三世代、「地域・家庭・保育園(学校)」の三つの連携、「時間・空間・仲間」の子育ちの三間を指してはいるが、その背景には「子どもが人生の初期に最も親しむ乗り物」の意味があり、それはチューリップのバンド名の由来と共通する「子ども心」に他ならない。


「子ども心」こそは、現代の大人が守らなくてはいけない最も大切なものである。

なぜか。


ひとつは、好奇心である。

子どもの好奇心は本来尽きることがない。

好奇心の赴くままに活動し運動感覚を養いながら、まっすぐに身の回りの身近なひとやものやことへ関わり、さまざまな学習体験につなげていく。好奇心は生きる原動力であり、子どもの能力の最も優れた点であるにもかかわらず、日本の子どもは意欲・向上心が低いといわれているからである。


ひとつは、感覚世界を味わう体験である。

大人が言葉で教えようとするとき、子どもは実体験ではなく、言葉という記号を使って構成された「概念世界」での理解を押し付けられることになる。

実体験の伴わない学びは空しい。

俗にいう「頭でっかち」になる。

ところが、子どもは草、花、木、布、石や土などの身近な素材に直接触れ、見聞きし、舐め、匂いをかぐ体験を豊かにすればするほど言葉ではなく、自分の感覚を通してものごとを理解するようになる。

この感覚の学びは言葉の獲得とともに減じるようになるといわれており、子ども時代ならではの世界である。


三輪車やストライダーにまたがり、京都まで行きたいと言う子どもがいる。

よし、どこまでも行こう。

子どもからもらったチューリップをハンドルに飾って。

素晴らしき子どもたちを素晴らしいままに。

新たな一年の始まりを祝う桜満開の春である。


初心に還る。

保育士になりたてのわたしが最も影響を受けたひとりに小林 一という先生がおられた。

氏は、平成2年の保育所保育指針の改定に尽力された方であり、当時、京都府保育協会の研修部長をされていた関係で、わたしは幾度となく先生の話を聴く機会に恵まれた。


講義には必ずといっていいほど天才バカボンのパパが登場し、その声色をまねながらこうおっしゃった。

「子どもが泣いている。これでいいのだ~。」

「子どもがわがままをいう。これでいいのだ~。」

「子どもがいうことを聞かない。これでいいのだ~。」と。


新米保育士が子どもとの関係において困り果てるのは、眼前の子どもが自分の予想を超えて思い通りにならないときである。

ご飯を食べるときは食べて欲しいし、服やパンツを着用するときは着たり穿いたりして欲しいのである。

ところが、自我が育つにつれ子どもは自分の意思を存分に発揮する。

こちらが願えば願うほど、裏腹な行動をしでかすこともある。

このような子どもとの対立葛藤は、保育士にとって時にしんどくイライラの原因になり、さらに専門職でありながら子どもをコントロールできない自分のふがいなさを募らせ自信を失う原因にさえなることもある。


それらのすべてを了解・察知しておっしゃった先生の「これでいいのだ~」は、

「あなたのこだわりから自身を解き放ち、少し離れ、力を抜いて、いのち通い合わせている現実とその有り難さをご覧なさい。」

と語りかけられているようであり、若い保育士への救いの言葉であった。

同時に、「子どもの理解、対人援助」の具体的態度について、また、「子ども主体・児童中心」の保育の糸口をも示唆されていた。

善悪の判断や個々の価値観を問う前に、ありのままの子どもを受け容れることは、子どもの人権を尊重した応答的で対話的な保育の第一歩である、と。


今、かけがえのない一人一人の子どもと共にいる。
保護者のみなさんや地域・関係者の方々と手を携え合って「子どもを真ん中に、これからのわたしたち」をつくる。
平和な社会のプレ体験の場としての保育園の理想を思う。
素晴らしき子どもたちにふさわしい原体験、原風景を思う。
どの子にも、どんなときにも味方になり、認め、受け容れる良き理解者であり、母性の基地でありたい。
「これでいいのだ~」。鼻毛ふわりと笑うバカボンのパパ。

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