2017年5月アーカイブ

『 子ども時代を見守る美しい循環 』のお話

園長: すぎもと かずひさ (2017年5月31日

『 子ども時代を見守る美しい循環 』のお話

 

理事長 すぎもと かずひさ

 

乳幼児保育・教育に憧れてその道を志すものたちがいる。背景には父母をはじめ、彼女、彼らの子ども時代を優しく見守ってきたものたちの存在があったに違いない。

子どもはよく感受し、考え、よく遊ぶ。好奇心の先に世界は広がり、願いの先に天才が発揮されてゆく。目下の楽しみは土遊びだ。石や葉っぱがつなぎになって園庭はすこぶる楽しい。美味しそうな料理かと思えば、いつしか顔ができている。笑う保育者。眼になった石がこっちを見てる。どの子の眼も笑っている。

喧嘩が起こる。つくりたいものが異なるらしい。その様子を配慮に満ちたまなざしで見守りながら「○○ちゃんはアイスがつくりたいねんな」。「○○ちゃんは?」と、保育者はそれぞれの願いや思いを聞き入れ、実現に向かうよう援助してゆく。多少の時間はかかっても解決は子どもに任せる。どのようにすればそれぞれが納得し、充実した未来に向かえるか、ぶつかるたびに学習する子どもたちである。怒りや泣きのそばに保育者はいる。喧嘩は、仲間なしには生きられない人間が共生してゆく術を身につけていくチャンスであり、また、多様な創造や表現を生み出す契機にもなっている。

子どもの集団作品の面白さはこんなことから生まれる。○○ちゃんのアイスと○○ちゃんの団子が食卓に並ぶようにそれぞれを生かし合いながらも、さまざまに絡み合ってゆく。さらに、それぞれの表現の背景にはそのもととなる体験や近い将来の夢があることだろう。

家族と行った公園の思い出、友だちと遊んだジャングルジムでの出来事、今度行くときにはもっと乗りたいブランコ、宇宙船の操縦士になって空を飛び回りたいこと。豊かな体験が豊かな絵や言葉に成り、その楽しさに触発されるように願いや思いが湧き出てくる。こんなことだから子どもの作品は愛しくてたまらないのである。

乳幼児保育・教育者の腕の見せ所は確固たる理念に裏付けられたプロセスにある。正しい答えや早く成果を出すことではない。早さや正しさはときに子ども時代の育みを犠牲にする。誰もが安心して暮らす生活にはたっぷりした時間が、自ら人生を切り拓いてゆくスタイルを獲得するにはじっくりと物事に向き合う習慣が必要なのである。

ご飯の眼になる小石。その横に飾られた黄色い花。運ぶ小さな手。今日の風、子ども風景の行方に心弾ませる大人たちがいる。子ども時代を見守る美しい循環である。

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