「愛の土壌」のお話

園長: すぎもと かずひさ (2019年2月28日

「愛の土壌」のお話

理事長 すぎもと かずひさ

 

 年長さんがごそごそやっている。毎日、決まった時間になると数人連れだって向かう部屋がある。おや、今日は何か持っているぞ、白い布だ。大事そうに抱えて何をするのかな。よく見るとあちこちがゴムや紐で縛られて変な形。手に手にその白い布を持ってあの部屋へ入っていく。この先は年長さんしか入れない。指をくわえて部屋の外から様子を窺う。突然の歓声や笑い声。怪し愉しい雰囲気が絶好調だ。

 やっと出てきた。よほど面白かったんだ。みんな満足げな顔である。さらに、手は真っ青。そして、その青い手よりもなお青いTシャツを持っている。ところどころに見える白抜きの模様がすごい。大小の丸や蛇行する川のような線が踊っている。みんな違う。かけがえのない逸品を手に年長さんが保育室に帰っていく。湯気立つ姿がうらやましい。

 彼岸が過ぎると種を蒔く。年長さんが卒園前にくれた特別な種だ。「あいのたね」というらしい。うまく育てると年長さんが着ていたあのTシャツが作れるという魔法の種だ。そんなお話の後、先生が言った。

「今から、特別な種を配るから優しく手を広げてね」。嬉しすぎて、大切すぎて、緊張する。順番が回ってくると「わぁー」とか「きゃぁー」とか言っている。みんな同じなんだ。言葉にならないくらい大切っていう気持ち。ついに順番が来た。ころんとのっかる「あいのたね」。可愛い。

 子どもは人間の種である。愛おしそうに「あいのたね」を見つめる子どもたち。植物の種と人間の種が見つめ合っている。育ちゆく者同士のいのちの対話である。蒔いた土に声をかけ、何もないところをのぞき込み、発芽を祈る。このような日々を重ねているから、素晴らしく発見が早い。発芽。「芽が出た~!!」の言葉が園舎中を駆け巡る。連なってのご対面、眼と芽が出合う。祈りが、期待が、愛着に、親しみにどんどん代わっていく。「藍さん」とさん付けで呼んだり、ニックネームで呼ぶほどの愛情が広がっていく子どもの輪ができる。

 子どもたちは拙い。知識も技術も知恵もない。ところが、ひたむきな思いはどうだ。純情を言葉にし、行動に移す。知らないことは尋ねては調べ、得た力をすぐに使う。藍が大きくなっていく折々に天候や害虫等の困難があった。また、すくもの発酵や藍液を見守るプロセスでは日常の仕事に触れた。その原動力は「あいのたね」に語り掛けたあの日。祈りを愛情に代えて耕してきた「愛の土壌」である。

『童心を育む人間の日向(ひなた)』のお話

園長: すぎもと かずひさ (2019年1月31日

『童心を育む人間の日向(ひなた)』のお話

 

理事長 すぎもと かずひさ

 

子どもがしょんぼりしている。微笑みかける。おおらかに心と体を開き、悲しみや寂しさ等の負の感情ごと、「きみを受け止めたい」という意思を表す。思いが伝わったとき子どもは心を許し、「泣き」や「甘え」を分けてくれる。嬉しい。「甘えていいんだよ」、「楽にしてね」、「抱っこさせてくれてありがとう」等と、「あなた」と「わたし」が分かち合う喜びと互いの存在への感謝を込めて関わっていく。

子どもの表情や心身の状況、一挙一動の機微に応じようと試行錯誤を繰り返す。眼の前の子どもに、かつての「わたし」がいる。幼い頃の心細くも頼りない気持ち。甘えや駄々を受け容れてもらった嬉しさ。包まれるような感覚、溶けるように癒されていった心持ちと安心感。記憶が蘇る度に眼前の子どもと幼い日の「わたし」が重なり、共感の糸口となって、例えば「撫でる」という行為の一つにさえ、自然に魂が込められていく。

このような触れ合いを通じて、子どもは安心感の根を張っていく。人間信頼の根である。正も負の感情も受け容れられるので恐れがない。のびのびと自己を発揮し始める。行きたいところへ行こうとするとき、欲しいものを手に入れようとするとき、友達と関わろうとするとき等、日々世界を広げながら生きる日常は、挑戦に溢れている。ゆえに、失敗は成長や挑戦の証であり、称賛に資すると理解する身近な人の存在が大切なのだ。子どもは、そのような人との心の触れ合いを通じて、意欲、向上心、平常心、学びに向かう力等の人間性の土台を育くんでいくからである。

子どもの心は元気になったり、意気消沈したりしながら育まれていく。正と負の間にある様々な感情を体験しては思いやりの芽を育くんでいく。当初は同様の体験をした者同士が、支える側になったり支えられる側になったり、役割を代えて助け合っていく。「受け容れてもらった経験」が互いに生かされ、自分のことのように人の気持ちが分かる人間へと成長していく。こうした感情交流がやがて友情や親愛の情になり、自分が体験していない他者の体験をも、自分のこととして人間形成に取り入れるようになっていく。 

子どもの心は、「子ども」に関わり、数々の「場」を共につくり、「生」を分かち合って生きる人々や仲間との豊かなやりとりや関わりによって耕されていく。生き生きとした眼力を宿らせて、発声したり、話し出したりする尊さ。子どもが自らの「主体」を前向きに働かせ始めるところ、童心を育む人間の日向がある。

『年ごとに あたたかに見る 初日かな』のお話

園長: すぎもと かずひさ (2018年12月28日

『年ごとに あたたかに見る 初日かな』のお話 

 理事長 すぎもと かずひさ


ども時代を満喫する。子どもだからこそ見える世界をじっくり味わう。じっくりとした味わいの中には、身近な世界を構成している空や地面、地面から生える植物、そこに生息する虫や小動物などの自然環境がある。さらに、人間がつくった道や乗り物、ビル、家屋などの建築や構築物、家具や道具などの備品や物品がある。子どもはそれらを眺め、興味や関心を示したり、高めたりしていく。見て触れて、受動から中動へ、中動から能動的活動へと心の運動と関わりを増大させながら、自分とものとの間で様々な相互作用を生起させては、次から次へと現象を楽しんでいくのである。

子どもが創出する現象には不思議がいっぱいだ。乳児室では何枚も貼り合わせた大判の新聞紙が子どもの頭上を舞っている。その下に潜り込み雪のかまくらのように内の空間と外から差し込む光の景色や感触を味わう子どもたち。やがて、手や顔や足が新聞紙に触れ始めると、能動性が目を覚まし、丸める遊びやちぎる遊びへと発展していく。満面の笑顔の先に、つくる遊び、自ら環境に関わり新たな環境を出現させる遊びが始まる。

幼児クラスでは三つ並んだプリンカップに黄、青、赤の順に色水が注がれている。子どもはそのプリンカップと並行に真っ白の毛糸を両手で持ち、持つ手を緩めて毛糸をたわませながらカップの中に垂らし、浸していく。滲んで色づく様子にくぎ付けの眼が可愛い。黄と青だけでなく、その間に緑のグラデーションが現れる。同様に青と赤の間にも紫のグラデーションが現れる。

思わず漏れる声、驚きの表情。一人一人の子どもの様子をバロメーターに保育者は、自らの知識や経験の知を感性でコントロールしながら保育環境に工夫を加えていく。

子どもが自らの手で現象を生起させ、発見と感動を繰り返す喜び。この新鮮な体験こそが肝心であり、子どもの心の財産となって蓄えられていく。自らの手で出現させたばかりの色鮮やかな毛糸を手に走っていく。新たな遊びに活用しようという魂胆がうれしい。

「思いを込めてつくる」。ものへの愛着を育む原体験が遊びのそこかしこに現れては形を変えていく。形を変えていくところに子どものひらめきや思い付きがある。ひらめきや思い付きを連続させながら新たなものを生み出し続けるところに柔軟な思考、軽妙なアイデア、工夫や試行錯誤が生まれる。

今日も子どもたちの陽が昇る。年ごとに あたたかに見る 初日かな。

「みんなのき~すて~しょん Team U(てぃむ ゆう)」のお話

園長: すぎもと かずひさ (2018年11月30日

「みんなのき~すて~しょん Team U(てぃむ ゆう)」のお話

 理事長  すぎもと かずひさ

 

今から30年前の竹下登政権時、各市町村に使い道に制限のない1億円を交付する「ふるさと創生事業」なるものがあった。宇治市でも市民公募が行われ、それを原資として創設されたのが、今日まで数々の優れた文学作品を生み出してきた「紫式部文学賞」である。事業公募には当時29歳だった私も提案を行った。不採用にはなったが「駅ロータリー等の宇治の玄関・顔である交通至便な場所に老若男女や障害の有無を問わず、誰もが憩い、集える場を設置し、宇治のシンボルにする」という若い情熱に満ちたものであった。

月日は流れ、「みんなのき~すて~しょん Team U(てぃむ ゆう)」の誕生である。「みんなのき~すて~しょん」はこども園の名に冠した「みんなのき」と「きーすてーしょん」をかけ合わせた。30年前の思いのままに、子どもを真ん中に誰もが憩い「良い気」が出合うコミュニティスペースのイメージである。

"Team"は読んで字のごとくチームの意と、綴りに含まれる"Tea"が特産品のお茶を表している。"U"はもちろん「宇治」の頭文字であるとともに、茶の湯の湯飲みを表している。さらに、「友」、「優」、「結」、「遊」、"Utopia(理想郷)"、さらに"You"と様々な意味が込められている。ご飯を食べるときは「いただきますのU」、お茶会を催すときは「茶のU(湯)」、歌を歌うときは「歌のU」等と用いる。 

友を優しく結び遊ぶコミュニティをみんなの良い気で少しずつ醸成していくプロセスを通して、子どもや子育て途上のみなさんとの共生を模索していきたい。少子高齢化、人口減少、経済、環境問題等々、ますます困難な状況が高まっている今日である。困難な時代を迎える度に英知を結集してきた人類。限られた条件の中で新たな幸せの価値を見出す時代の架け橋としての一助となれば幸いである。

先日、「稚拙美」という言葉を私に教え与えてくださった保育の先達が天召された。子どもが描く拙い点・線・面等のすべての表現が美しいというのである。なぜか。そこには、子どもの個性が丸ごと息づいているからである。子どもの心持ちのありのままが現れているからである。それらの一つ一つに今を生きる子どものいのちが輝いて見えているからに他ならない。どんな子どもの行動も心情も愛おしく、すべてを受容したく、それらを享受できることは至上の幸せであり、喜びであると。

そんな「児童中心」の理念が宿る「みんなのき~すて~しょん Team U(てぃむ ゆう)」で一服しませんか。京阪宇治駅横です!!

「子ども時代の生きざま」のお話

園長: すぎもと かずひさ (2018年10月31日

「子ども時代の生きざま」のお話

理事長 すぎもと かずひさ

 

子どもと絵の具との豊かな出会いを予見し、溶かし、混ぜ、遊びに適した色をつくろうとする保育者がいる。子どもの見ているところ、眼に触れるところで準備をするのは、「子は親の背中を見て育つ」的に限られた時間の中で子どもの生活と教育を両立させてきた保育者の知恵である。

「絵の具を溶き、適切な色をつくろうとする保育者の姿」が、そのまま遊びの導入の役割を担い、子どもの興味や関心の対象になっていく。一人一人が思うままのペースで保育者と関わり、絵の具と出会い、参加していく。誰もが自らの好奇心から遊び始めるので、自然、能動的な体験で彩られていく。この深まりが、やがて、自らの人生を主体的に生きるスタイルにつながっていく。

赤ちゃんの好奇心が湧き起こった瞬間のハイハイの速さはどうだ。全身で対象に近寄っていくその表情や姿は最早好奇心を通り越し、一挙一動に感激がみなぎっている。意欲どころじゃない。

絵の具に触れ「うわぁー!」、手に付いた色に「あっ!」と、「動」の感動が真っ盛りである。しばらくすると、色の付いた手で布や紙を手で触っては現れる跡や形に気づき、楽しみ、黙々と没頭し始める。「静」の感動である。子どもが自らつくり出す世界の面白さを感じ、継続的・持続的に遊びだす頃合いを見て、保育者は、色を混ぜ、つくるのをやめて、しばし子どもの行動を見守る。

画用紙を滑らせる手の感触は心地いいかな?手の動きに合わせて、変化していく色の混ざり具合はきれい?などと、子どもの遊ぶ姿から自分の用意した絵の具の濃度や色合いについての自問自答を繰り返す。また、紙や布などの色を乗せる素材、筆やローラーなどの描く素材の質と量にも気を配る。何が面白いのか、何を楽しんでいるのかを見極め、自身の専門性に取り込んでいく。

秋である。散歩が楽しい。様々な色の木の葉が美しい。虫食いの葉に教えられて穴を開けていく。「おばけみたい」と笑いが起こる。リスのほっぺのように膨らんだポケットにはどんぐりがいっぱいだ。小枝や枝で魔法をかける。倒木が船になる。数々のファンタジーを園に持ち帰り、園での遊びと結んでいく子どもたち。散歩の感動と絵の具の感動が出合い、さらに新たな世界が現れる。

未知の世界を開く遊び。生きがいの原型をつくる遊び。子ども時代にこそ体験したい生きざまがある。

「こだまや こどもっくる」のお話

園長: すぎもと かずひさ (2018年9月28日

「こだまや こどもっくる」のお話

 

理事長 すぎもと かずひさ

 

世界をくるくる回る子どもたち。小さな身体に溢れんばかりの好奇心を光らせ、あっちへこっちへくるくる、遊び回ります。やってみたいことを積み重ねていくうちに、自然に芽生えてくる活動意欲や主体性。いつでもどこでも、新鮮な感性で眼の前の現象を感受し、思いつきやひらめきを表現し合っているうちに、豊かな情操が耕されていきます。

「世界をつくる」、「仲間をつくる」、「自分をつくる」プロセスに子どもの思いや願いがこだまのように広がっていきます。そんな子どもたちの姿に因んで「こだまや こどもっくる」という今年の運動会テーマは誕生しました。

 ところで、私達大人はなぜ子どもに関わり続けるのでしょう。絵本を見るたびに、作者がどれほどの時間とエネルギーを注ぎ込んで絵を描き、構図や構成を編み出していったのか、その情熱に驚かされます。また、物語のテーマに込められた作者の子どもへの思いに人としての美しさを感じずにはいられません。絵本を手にした子どもの笑顔を思い浮かべ、ページをめくるごとに高まっていく心臓の鼓動を想像し、作品を仕上げていく姿には胸を打たれるばかりです。

このように、子どものためにつくられた環境を見渡してみると、公園の遊具や娯楽施設の数々、玩具や教材、料理、音楽、映像等々、子どもを思う大人たちによってつくられるものやことの何と豊富なことでしょう。誰もが持っている自分の中の「子ども」に語り掛け、赤ちゃんの頃からの記憶を蘇らせてつくり続けては今に実現させていく。その土台の上に、また、新たな創造が生まれていきます。

園庭の土や、花や木々、ダンゴムシやカブトムシ等の生き物に触れ、親しんできた春から夏の教育・保育活動は自然の恵みと一人一人の子どもの創造に満ちていました。花弁や葉は土でつくる顔やご飯を特別に仕立てる子どもの宝物です。自分たちを興奮させてくれる虫たちには家をつくりました。子どもの遊びは創造の連続です。

保育者もつくり続けてきました。012歳児の担任は、子どもの様子と対話しながら、段ボールや遊具等で空間をつくり、手づくり楽器や視覚にも愉しい色や光等の手づくり教材を投入・構成する毎日です。345歳児の担任は、子どものやってみたい、なりたい等の願いを収集し、その実現に向けてつくり続ける子どものそばで見守り、ときに共同して遊びをつくり続けてきました。

キーワードは「つ・く・る」。「こども・っ・く・る」たちのヤッホーが今日もこだましています。

「自由が半端ない子どもたち」のお話

園長: すぎもと かずひさ (2018年8月31日

「自由が半端ない子どもたち」のお話

理事長  すぎもと かずひさ

 

園庭を眺める。スコップにフルイ、プリンやヨーグルト等のリサイクル容器、鍋、フライパン、コンテナ等が、様々に関わられ、目的を持たされて、「遊びの市」が大繁盛である。

自分の身体より大きなタイヤを転がしては積み重ねていく年長児さんは、五右衛門風呂さながらに跨いで身を沈め、悠然と景色を楽しんでいる。ところが、首の塩梅が今一つなのか、さっと飛び出し、あっという間に50㎝四方くらいのウレタンマットを見つけてきた。早速、丸めてタイヤ上部から半分ほど突っ込んだ。いざ、再入浴。マットを背にもたれてみる。「こりゃいい~」、エリマキトカゲ風五右衛門風呂の完成にご満悦である。

そんな友の様子に誘われて隣では新たな五右衛門風呂の設置が急ピッチで始まっている。タイヤが積み上がる早さに並々ならない思いが伝わってくる。しかも、ウレタンマットはタイヤの下に1枚、首の後ろに1枚、さらに手に1枚の3枚仕様である。やはり後発隊、クオリティをあげてきた。雨や外敵から身を隠せるように手に持った1枚が屋根になる寸法だ。頭までタイヤに潜り、蓋のように開け閉めしては、明と暗を楽しんでいる。隙間から辺りを窺い、知った顔が現れると「わーっ!」と、隠れる喜びを見せびらかしている。それを見た最初の彼もじっとしてはいられない。急いで新たな部材探しに出かけてゆく。かくして、スペシャル五右衛門風呂づくりの知恵比べがつづく。

その横では、ままごと遊びを楽しんでいる3歳児さん。ご飯を入れていたステンレス製のボールを持って、どこかへ差し入れにでも行くのかと思いきや、いきなりボールをひっくり返して被った。あれ~、イメージチェンジどころじゃない。ところが、この突然の行為が垂涎のヘルメット・ファッションを生んだ。彼の姿にキョロキョロしだした友の視線は、俄然、まあるく光る物体に向けられる。柳の下の泥鰌を狙う眼だ。しかし、無い。無いから探す。とにかく被る、被ってみる。匹敵する被り物を見つけまショー・タイムである。

ここで、まさかの三角コーンが脚光を浴びる。重さも視界も関係ない。マリー・アントワネットもびっくりの頭の高さである。一人、二人、三人と愉し気で可愛い行列ができてくる。ピョンピョンと森の小人さんと見紛う不思議な世界が現れる。

使い道を知らない自由、見た目を持たない自由が子どもの半端ない行動を生みつづける。目的最優先で自由にものと関わる感覚。遊びの創造世界、子どもの楽園の原点である。

「こころのハーモニー」のお話

園長: すぎもと かずひさ (2018年7月31日

「こころのハーモニー」のお話

 

理事長 すぎもと かずひさ

 

 僕は生まれて10ヶ月。ある日泣いていると、「Aちゃんどうしたの~」、といつもの声がやってきた。心地よいトーン。語り掛け、歌い掛けなどというらしい。同時にいつもの匂いが立ち込めてくる。「エーンエーンしてたなぁ」と覗く顔。待ってたよぉ、と僕。しゃべれないから泣くしかない。「うんうん」ってアヒルさんみたいな口が可笑しい。「そうね~」って僕のこと何でも知っているの、お見通しですか。見つめる瞳が優しい。ふんわり包まれるように手を握られた瞬間、甘えたい気持ちが一気に流れ出た。「ウェーン、ウェーン」こらえきれずに僕は身体をバタバタ暴れん坊に大変身。すると抱っこでトントンって嬉しかった。さっきまでざわざわしていた僕の心は落ち着いて、いつの間にか眠ってしまったんだ。

 私は2歳、「自分で~」は最近の口癖。「えっへん!」いろんなことができるのよ。先生が机や椅子を並べ始めた。そして、おしぼりにエプロンときたら「お昼ごはーん、ハイ、大正解~」。早速、「お手伝い開始~」、椅子を運んで「よいしょよいしょ」。「ありがとう」って先生に言われたらますます張り切る私。モチベーションが上がるってこういうことなんだと思う。その時、「ガッシャーン!!」青天の霹靂。転んだ。食器にぶつかった、これが本当の「ショッキング~」。痛さより悲しかった、おかずが散らかりみんながガヤガヤ集まってきた。「Bちゃん、大丈夫?痛いところない?」先生が心配そうに語り掛けてくれた。私はただただ泣いた。しばらくして、先生が耳元で囁いた。「Bちゃん怪我がなくてよかったね。Bちゃん偉かったね。お手伝いがんばってたものね。Bちゃんが泣いたら先生も悲しかった」。私は先生が大好きになった。

 子ども=人間の理解には、瞬間的理解と長期的視座からの理解がある。瞬間的に子どもの心情を受け止め、共感的に理解することは大切ではあるが、それを支えるのはいつもどんな時でも自分の生涯をかけて子どもを理解しようとする信念であり、態度である。一時的にボタンの掛け違いがあったとしても長期的視座からの理解に努めていると、やがてその態度から思いが通じ合うこともある。

 子どもを愛する人は、子どものことをよく知る人である。よく知る人は、共に歩く人、同行性である。共に歩くからこそ見える景色がある、分かち合う世界がある。泣きたいときほど味方になる。頑張っているときほど響き合う。こころのハーモニー。

「本気の夏がやってきた!!」のお話

園長: すぎもと かずひさ (2018年6月29日

「本気の夏がやってきた!!」のお話

理事長 すぎもと かずひさ

 

水たまりが呼んでいる。きらめく水面の向こうに躍動の未来がある。築山のてっぺんから飛び込む寸前の顔はもう弾けている。「バッシャーン!」、元気の塊と泥水が一緒に周りへ撥ねてゆく。一人一人の自由な振る舞いが顔や身体に飛び散って服と心を染めてゆく。

「お風呂~」と言えば風呂になる。築山の斜面に座り、足湯さながらに水たまりをジャブジャブする。並んですると楽しい。足の動きと水の動きと心持ち。揺れに揺れて音が鳴る。楽しさで勢い早くなる、激しくなる、笑いになる。「わたしの世界」と「友達の世界」が子どもの数だけ入り混じって人数分以上の「現在」が現れつづける面白さだ。

海といえば海になる。川との違いはときにない。メダカもタコも一緒に遊ぶ。無関心な隣人がいれば眼の前でニョロニョロする。タコの求愛活動だ。隣人はあっという間に手に落ちる。否、タコだけに「足に落ちる?」、これが本当の「八本美人?」。メダカは何処へ、友達もイメージも吸い付けて「バシャバシャバシャ・・・」千手観音仕様の手足が大活躍だ。

誰の顔も泥に汚れている。こんなはずじゃなかった。いつの間にか付いた。夢中の仕業だ。「一人の夢中が二人の夢中、二人の夢中が三人の夢中、四人、五人、六人~忍法、影分身~!!」

プールである。陽気が味方して水温や水の感触が心地よくなってくると自然に手が伸び、足が伸びて水に親しんでゆく。無理強いはしない。水の苦手な子どもにとって予期せぬ水しぶきや波動は緊張を生み、プール遊びのねらいの一つである「ダイナミックかつのびやかな動き」を遠ざける。顔の表情や心身の様子に応じて徐々に親しんでゆく。

それでも夏の終わるころには「見て!見て!」と顔を付け、飛び込み、伏し浮き、両手両足を回し、まさに「自由形」、何泳ぎであるか判別不能なオリジナル泳ぎの数々を見せてくれるのである。「見て!見て!」こそは、子どもが自らの成長を実感し、身近な人にその喜びを分かち合ってほしいという証である。広げゆく新たな世界が愛おしい。

カンカン照りのお日様にみんなの影が踊っている。一人では踏み入れることがなかった「子どもの世界」である。子どもと子どもを結び、元気と元気を掛け合わせ、イメージとイメージを繋ぎ、様々な風景と現象を紡ぎゆく「土」と「水」。本気の夏がやってきた。

 

※家庭で、戸外で、水の事故には十分ご留意ください。

※「汚れものは遊びの勲章」とは言いますが、洗濯等の手間は父・母・きょうだい等で分担しましょう。

 

「中学生がくれた保育の真実」のお話

園長: すぎもと かずひさ (2018年5月31日

「中学生がくれた保育の真実」のお話

 理事長 すぎもと かずひさ

 

「僕がな、寝ようと思たらな、お姉ちゃんがな、おってな、優しくトントンしてくれはってん。何かな、嬉しくなってな、タオルケットに隠れてな、バァーってした。そしたらな、お姉ちゃんがな、めちゃ笑ってくれはってん。とってもいい気持ちになってな、嬉しかった。」

1歳児クラスの男児の心情を代弁してみた。午睡前の彼を喜ばせたのは、この日体験授業で保育に参加していた女子中学生である。園のOGでもある彼女は、10年程前は眼の前の園児と同じように午睡をしていた。身も心も大きく成長し、世話をする側になって再び園へ訪れたというわけである。

嬉しい気持ちで入眠すると良質な睡眠に恵まれる。また、目覚めの温かな関わりは寝起きの上機嫌をもたらし、その後の活動意欲を盛り上げる。

たかが一瞬、されど一瞬。「子どものそばにいる」、その意味と在り方。「優しい気持ちが醸し出す」雰囲気と表情。子どもにトントンする柔らかなタッチ。「いないないばぁ」に応える笑顔。愛情が宿る仕草の一つ一つが伝わり、男の子は自らの喜びを「いないいないばぁ」で返したのであった。なおも笑顔で応える彼女。子どもと保育する者の間で「喜びのコミュニケーション」が見事に、対話的に繰り広げられていた。

場面を転じる。3歳児クラスの保育室。カプラの塔がそびえ立っている。見ると子どもたちが手に手にカプラを持って自分の倍の背もある男子中学生に積んでとばかりに群がっている。期待に応えようとする彼。固唾をのんで行方を見守る子どもたち。「カプラの塔よ、高くなれ」という願いとチャレンジする男子中学生への憧れがどんどん高くなってゆく。

園庭に目を移すと別の2歳児さんが頭から水をかぶっては「うわーっ」、泥まみれになっては「おーっ」っと元気を迸らせている。そのそばでもっと楽しんでとばかりにホースの先をつぶして水のトンネルをつくる女子中学生がいる。くぐっては歓声を上げる子どもたちと戯れ、まさに「交歓会」がたけなわだ。

ランチルーム前では女子中学生が道案内さながらの3歳の女の子に左手を引かれている。役に立つ喜びいっぱい得意満面の女児に身を任せ、もう片方の手は甘えん坊真っ盛りの男児に奪われている。助けられる喜びと必要とされる喜びの真ん中ではにかむように笑っている。

「幸せは豊かなコミュニケーションにあり」。保育の専門的な学習を経験していない中学生の彼らが垣間見せてくれた「保育の真実」である。

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