『  はるかな世界に夢を見る  』のお話

園長: すぎもと かずひさ (2020年5月29日

『  はるかな世界に夢を見る  』のお話

 

理事長 すぎもと かずひさ

 

視界が広がる向こう。数㎝先の空。手を伸ばす。寝返ると景色が変わる。その面白さ。触りたい。届かない。身体を伸ばす。行ってみたい。憧れ、冒険への欲求。そんな思いが全身に漲り、子どもはその心も体も大きく育んでいくのだろう。仕草、動作、活動の一つ一つが、手や足の指の隅々の、頭の先からつま先の部位の一つ一つが全身へと連なって、さらに全霊の気持ちを宿らせて周りのヒト、モノ、コトと関わり、繋がっていく。その世界、雰囲気に魅了され、この後の未来を期待する。

「子ども劇場」の始まり。登場人物になりたい気持ちを隠して、見つかりたい隠れん坊さながらに様子を窺い、彼の視界に入るか入らないかギリギリのところへ寝転んでみる。ライバルは真横の座布団である。ふんわりとしたフォルム。日差しを浴びて魅惑的に埃をきらめかせている。床面すれすれの上と下、あっちやこっち。肌ざわりの固い、柔らかい、ツルツル、ザラザラ、凹凸の触れる場所ごとの感触を味わい尽くすようにそろりそろりと這ってくる。絨毯が参加する。フローリングが参加する。座布団。そして、私の出番。ワクワクが止まらない。

彼からやってきて「くれた」。何よりのプレゼントである。お腹の上で立ち止まる、否、這い止まっている。撫で撫で、擦り擦り、くすぐったい。彼も気持ちがいいのだ。やめる気配がない。この境界の無さ、一体感、一緒の心地よさ。笑いが漏れる。お腹が揺れる。彼も揺れる。こんなふうに私「と」の関係を結んでくれる。幸せな感じ。時間の有難さ。ほんの数分の時間が彼と私を結んでくれた。

外に出る。子どもの景色が広がっている。園庭のそこかしこに魂が踊っている。自由がある。自由である。自由な活動の背景にはゆったりとした時間がある。思い思いに時間を遣い、活動しては、ヒトやモノを結んで「場」を作りつづける子ども達。生き生きとしている。溌溂としている。没頭している。夢中になっている。主語は子ども達である。

「行動」は「時間」を必要とする。「行動」はバラバラに存在するヒトやモノを結び「場」をつくり、「世界」を広げていく。その「世界」をつくり、広げていくプロセスの中で、子ども達は、新たな自己と出会い、気づきを発見し、仲間と関わり、学びを深めていく。子どもの主体的な活動、主体性を育むために、まず必要な自由を保障すること。空間的・物理的な「場」よりもはるかな世界に夢を見る。

「困難の中の豊かな保育」のお話

園長: すぎもと かずひさ (2020年4月30日

「困難の中の豊かな保育」のお話

理事長  すぎもと かずひさ

新型コロナウイルスの市中感染が広がり、感染や見通しのない不安を抱えながら、ライフラインの堅持に奔走されている方、また、経済活動の影響に多大な被害を受けている方、在宅勤務と子育ての両立に奮闘されている方、知己の罹患や基礎疾患等のハイリスク要因をお持ちの方のケアやご心配等々、皆様には平時にはないご労苦に向き合い、心身共に消耗する日々をお過ごしのことと思います。心からお見舞い申し上げ、敬意と感謝の意を表します。

5月と言えば慣らし保育を終える頃の乳児さん、探索活動を自由に楽しみ始めている12歳児さん、「土」で遊び、鯉のぼりづくりや野菜の種蒔き等の活動に感動の声を上げている3歳以上児さんの姿が見られる頃ですが、今年は登園自粛要請へのご理解・ご協力をいただき60%の子どもさんがご家庭で過ごされている現状です。スタッフはご厚情に少しでもお応えしたいと、自粛要請が解けた後の準備やご家庭への情報発信、困難をチャンスに代える保育内容の吟味等に取組んでいます。

ご存知の通り乳幼児期にはマザリングやスキンシップ等の情愛に満ちた関わりが欠かせません。また、「子どもは子どもの中で育つ」というくらい相互主体的に関わり合いながら心身を育み、園生活をつくっていきます。この素晴らしい子どもの特性、本質には「密接」や「密集」がつきものです。感染症対策として、個々の活動、距離を置いた保育や環境の工夫、換気や戸外活動、こまめな手洗い、消毒等に留意してはいますが、そもそも保育と感染症対策は相反要因をはらんでいます。メディアでは合唱や合奏については終息予想の2年先まで自粛との声も上がっています。合唱、吹奏楽、演劇、同様の条件が当てはまる団体スポーツの全てが自粛です。園行事をはじめ、教育活動の全てを見直す必要に迫られています。夢を追いかける子どもや様々な伝統を思うと何とも言えない気持ちになります。

人間は、「生体的」、「生活的」、「成育的」、「自己実現的(夢)」等の多様な観点に加え、それぞれの考えや欲求及び生活背景等により多様な生き方をしています。「子どもと子どもと大人」、「子どもと活動と夢」、「子どもと家庭と園と社会」等、感染症によって分断されそうな諸状況及び感染症の発生段階・対応ステージ等を踏まえながら、どのような未来を描き、創っていくかが問われています。そのプロセスはいずれ子ども達が未曽有の困難に出会った時の手掛かりになることでしょう、今こそ「生命を大切にする」という法人理念に光をあて、「困難の中の豊かな保育」を探究していきたいと考えています。

『 「いきいき園」をつくろう 』のお話 

園長: すぎもと かずひさ (2020年4月 7日

『 「いきいき園」をつくろう 』のお話 

 

理事長 すぎもと かずひさ

 

「今日も園に行きたいなぁ。だってなぁ、面白いこといっぱいあってなぁ、楽しいねん。」

すべての子どもがこんなふうに呟く園でありたい。それは主体的に遊び、活動し、自らの園生活に思いを馳せて関与しつづける子ども達が創る。私達はそんな彼らを保護者のみなさんと愛情深く見守り、支え、ときに半歩先ときに半歩後ろを行きつ戻りつ、道草を楽しむように共に歩むばかりである。一緒に見る風景の有り難いこと、互いの存在のもったいないこと、味わうほどに感動的で情熱的な子ども時間の物語が始まる。

赤ちゃんの歌は愛しい。泣き声が、クーイングが心の奥底に響いてくる。歌い返す。歌で呼び合うコミュニケーションは愛(め)でたい。歌は人類の最初期からある。嬉しくて歌い、悲しくて歌い、言葉を獲得する以前から心を通い合わせる。意味よりも雰囲気を分かち合う。

子どもは踊るように遊ぶ。ハイハイで動き回る。何を見ているのかな。何が面白いのかな。子どもの見ている先に視線を重ねる。興味の対象に全身全霊で向かっていく。歩くようになると一層の探索が始まる。心と身体を総動員して活動する。この心身の一体感、全体感が子どもの真骨頂であり、直観と即興に満ちている。喜びを率直に体現する境地が素晴らしい。

キラキラの瞳を追跡する。振り返る子が居れば微笑み返す。私の笑顔をホールドにして次のステップへ進んでいく。振り返る度に微笑み返す。どこから見つけてきたのか、木片で穴を掘る。鍬だ。教えられていないにもかかわらず便利を工夫している。別の場所では木の枝を両手に擦り合わせたり、打ち鳴らしたり楽器さながらに使い始める。こんな遊びを起点に愉しい「気」が巡る。

歌うように呼び合い、踊るように誘い合う。やりたいこと、面白いことの連続である。それぞれの「意欲のかたまり」がラグビーボールのように宙を舞う。ボールがどんどん増えていく。どこへ飛んでいこうが誰が受けようが構わない。自由に離合集散を繰り返す。「場」の勢いに包まれて誰もが生のエネルギーを増幅させる。

「歌」と「踊り」は人類の最初期からあった。毎日毎日、園庭を掘り起こすように遊び回る子ども達。ある人はそんな子ども達をして「古代とつながっている」という。その心は、人工知能やロボットとの共存時代になっても人間として活き活きと生きる生命の喜びを祝福しつづけること。そんな「いきいき園」をつくろう、みんなのきで。

「子どもの純情をいつまでも」のお話

園長: すぎもと かずひさ (2020年2月28日

『 子どもの純情をいつまでも 』のお話

 

理事長 すぎもと かずひさ

 

今年も「子どもの純情」に感動し続けた一年でした。ふとしたことから興味や関心等の心情を持ち、喜びを感じるところから意欲を芽吹かせ、繰り返し楽しんで行動するうちにやがて態度として身に付けてゆく子ども達。一人一人の子どものそばにいて、一つ一つの出来事やそのプロセスを共にゆく有難くも尊い営み。何気ない日用品や植物、小動物等々の身近な回りのものやことに興味・関心を向けては指をさし、近づき、関わってゆく純情。ものを掴んだり、舐めたり、転がしたり等、関わるほどにさまざまな現象を楽しみ、面白がってゆく純情。そんな心持ちを友達の数だけ集めて、みんながそれぞれに、ときには一緒に楽しんできた一年でした。

そんな君たちの一挙一動が大好きでした。だから、君たちが今見ているもの、触れているものは何かな、何が面白いのかな、どうして面白いんだろうと興味津々見守ってきたのです。子どもの頃に戻ったように自分の子どもごころと君たちの純情とを重ねては、「こんなことも面白いかも、こんなふうにしたらどんなふうに関わり新たな世界をつくってくれるかなぁ」等と、イメージを膨らませ、存分に遊んでいる君の姿を思い浮かべながら保育環境を作り、仕込んできたのでした。そして、いつも期待以上の表情や表現を見せてくれたのでしたね。

現実社会では、事故、事件、災害、病気等々の悲しい出来事が後を絶ちません。胸が張り裂けそうな耐え難い出来事も突然やってきます。そのような中で保護者のみなさんの御一方御一方が今日まで歩んでこられた日々はどれほど価値のあることでしょう。子どもが元気に走り回る姿を見るにつけ、黙々と夢中になって遊ぶ様子を見るにつけ、この子ども達の活動の背景にある保護者のみなさんの簡単ではない日常の頑張りやご苦労を思う毎日でした。

ときに過酷な人生において子どもの笑顔の何と希望に満ちていることでしょう。誰もがよこしまな気持ちなどこれっぽっちも持たない時代がありました。誰もが友達を思い人間を愛する時代がありました。誰もがお金の価値等知らないにもかかわらず幸せを謳歌する時代がありました。その根本に「子どもの純情」があります。先日の「童心の集い」ではまさにその本質に触れ赤ちゃんの頃からの彼らの歩みに共に胸を熱くしましたね。夢を耕し、生きがいを育んでいく子ども達に、そして保護者のみなさんに心からの感謝と祝福を捧げます。

「みんなのきの歌」のお話

園長: すぎもと かずひさ (2020年1月31日

「みんなのきの歌」のお話

理事長 すぎもと かずひさ

「えんちょう(りじちょう)せんせ、うたつくってくれてありがとう~!」、可愛い声が追いかけてくる。こちらこそ、いっぱいの言葉やアイデアをくれてありがとう、やで。

3歳児クラスになると月曜から金曜日まで、毎朝・夕行われる子ども達のミーティング。今日やりたいこと、明日やってみたいことといった身近な未来への願いや希望、一日の楽しかったことや嬉しかったこと、夢中になっていること等々、子ども達が話しやすい簡単なテーマを設けて、あるいはときに自由に子ども目線で話し合う。

年齢に関わらず、話したくないときがある。無言の参加もいい。恥ずかしくてもじもじすることもある。ずっと一緒にいるから、その気持ちがちょっと分かる。もじもじするのは大切な時間。「あんな・・・、あんな・・・・」と繰り返す。安心して、ずっと待っているよ。葛藤に向き合う子どもの頑張りは、ときに雄弁な言葉以上にみんなを惹きつける。待つことの素晴らしさを学ぶ機会をもたらし、思いを交換し、気に掛け、分かち合う等の思いやりの基礎を培うひとときを与えてくれる。

勇気を出すには、どんな態度も受け容れられ、認められているといった安心感や怖れのなさが土台となる。ゆえに、そのような気持ちを誰もが持てるようになることを最優先の保育目標として掲げる。安心の風土を築いていこうとするプロセスで担任は、ミーティングの話の内容もさることながら、こういった一人一人の子どもが向き合う葛藤や困り感等の一見マイナスにとらえられがちな場がクラス全員の成長を耕す貴重な体験であることに気づかされる。一人ではついぞ学ぶことの適わない人間世界を味わい、広げていく。すべての子どもが自分のことのように友を愛し、当たり前のように尊重し合い、自然に民主的に参画・協働していくスタイルを身につけてほしいという願いが込められていく。

1月中旬になると年長児さんは、自分達が歩んできた一年を振り返り、童心のつどい(表現遊び発表会)で何をしようかと話し合いを始める。現一年生からもらった藍の種を手の平にのせてじっと見つめたあの日から、はや一年である。数々の体験を積み重ねてきた子ども達の興味・関心や体験の連続から生まれる思いや願い、発想、意見はかけがえがない。

34歳児の子どもも自分達のやりたいこと、面白いことを全身全霊で楽しんできた。そんな言葉の数々がわたしのもとに届けられての歌である。みんなのき(気)の歌である。

『人間の発見と形成 精神の永遠性を学ぶ年明け』のお話

園長: すぎもと かずひさ (2019年12月27日

人間の発見と形成 精神の永遠性を学ぶ年明け』のお話

 

理事長 すぎもと かずひさ

 

― 人間を発見し、形成しつづけねばならない ―

 

この言葉は、空想の中から生まれたのではなく、現実生活の喜びや苦しみや悲しみなどのナマのふれあいの結果として、心に深くせまりきたったものである。

そこにたたえられた意味は、「ある優秀な典型をつくりあげたり、人びとをある優秀な典型にあわせてつくることではない。その本筋の意味は、うもれている個人の優秀性を発見し、解放し、伸ばしていくことである。それは、人間性の無限の変化に富むパターンに、さながら芸術家にも似た努力をもって、深くはたらきかけ、その色調の深さと、ゆたかさとを発展させていくことを意味する。」

これは、ケースワークの母と呼ばれるメアリー・E・リッチモンド女史の名著「WHAT IS SOCIAL CASE WORK?」の書中の言葉であり、昭和381963)年6月、弊法人の創設者である杉本一義32歳の時の訳書「人間の発見と形成」から引用した。

当時一義は、戦争で家族が犠牲になった子どもたちとともに児童養護施設の指導員としての生活を送りながら、昭和37年龍谷大学に開設された短期大学部社会福祉学科の講師としてのご縁をいただいたばかりであった。実践と研究を往還する大切さを実学する日々であったことだろう。

彼は自らの体験とこれから開拓してゆく社会福祉・教育の原野を展望し、あまりにもさまざまな生き方をしている人間社会の広がりに大自然の御前にたたずんだときのような畏敬の念を抱いたに違いない。そして、「ひとり」に還るのである。

「いのちを大切にするということ」という法人の理念は、1973年の創設以来今日に至るまで法人役職員の福祉・教育実践の拠り所となってきた。一人一人の子どもはみな唯一の存在として、その個性や特性が愛され、認められ、関わられること。そのためには、一人一人の子どもの個性や特性に対する高度な感受性が必要であること。自分自身とは似ても似つかない子どものパーソナリティに対して、本心からの尊敬を払うこと、それは福祉・教育に関わるものとして最も大切な才能の一部でなければならない。

今日という日の笑顔の向こうに訪れる明日がある。今というひとときの充実の向こうに一人一人の子どもの天賦の才能が花開く。新たな年はどんなかな、今日のきみはどんなかな。人間社会がさらに思いやりに包まれ、あたたかな方へ導かれますように。メアリー・E・リッチモンドに、亡き父に改めて精神の永遠性を学ぶ年明けに感謝。

『 子ども座のクリスマス 』のお話

園長: すぎもと かずひさ (2019年11月29日

『 子ども座のクリスマス 』のお話

理事長 すぎもと かずひさ

 

冬の日暮れは切ない。夜が昼を食べて待ち受けている。明暗が闇を一層暗くする。そんな夜に灯りをともす。灯りは自らを照らし、近くを照らす。身近な存在のかけがえのなさ、ありがたみがじんわり湧いてくる。ものの豊かな時代だからこそ心を照らし合い、感謝と祝福のうちに一年を締めくくろう、そんな園の12月である。

スタッフが柿の枝をいただいてきた。クリスマスツリーにするのだ。柿の木の枝のように紆余曲折があってもやがて実を結び、熟しては輝く大きな種をもたらしますように、という願いと、柿は日本原産の果物といわれ、16世紀頃にポルトガル人によってヨーロッパに渡り、その後アメリカ大陸に広まり、今では「KAKI」は世界中の人に愛され、学名も「ディオスピロス・カキ(Diospyros=神様の食物 Kaki)」、「KAKI」の名で世界中に通用するといったワールドワイドな由来を反映している。

子どもは、この枝に遊びの産物を結んでいく。サンタクロースの好きそうな食べ物や世界中の子ども達にプレゼントして回るための乗り物、サンタクロースの家族が暮らす家、調度品等々、プレゼントを待ちわびている証しにどんどん作っていく。作るほどに待ちわびる。ごっこ遊びの無限のイメージが夢現の世界を醸し出す。

カーテンを閉めた暗がりの中、子どもらが車座に座っている。真ん中には自分たちが作った遊びの産物が置かれている。AくんのものからZちゃんのものまで、一人一人の可愛い手から産み出された作品があちらこちらを向いて佇んでいる。担任が唇に人差し指を立てて子どもらを見渡した。無言になる楽しさが広がっていく。静けさが立ち込めた瞬間、マッチを擦った。「シュッ」、音と煙硝の匂い、ほのかな煙を連れて揺らめきながら火がキャンドルに近づいていく。「子ども座」とでも呼びたくなるような車座の真ん中でキャンドルが照らす一人一人の作品にみんなの顔。

このかけがえのなさはどうだろう。子どもらがひねったなりの紙粘土、力を合わせて絡みつかせた枝に蔓。静けさの中に子どもらの経験の残影が充満し、共感のステージで踊り出す。そんな「場」である。

こころとこころがふれあうとき、こころの形が影響し合う。さっきまで尖っていたりひしゃげていたりしていたこころがまあるい方へ動き出す。いつしかこころの温度までぬくもりの方へあたたまっていく。そんなこころとこころのふれあう「子ども座のクリスマス」。

『 子どもごころと秋の空 』のお話

園長: すぎもと かずひさ (2019年10月31日

『 子どもごころと秋の空 』のお話

 

理事長 すぎもと かずひさ

 

50㎝ほどの「水たまり川」に三輪車がスタックしている。前輪が水に浸かったその周辺で数名の2歳児さんが右往左往している。近づいてよく見ると困ったふうでもない。むしろ自分たちがつくり出した状況を楽しんでいる風情である。

一人が15㎝角、長さ30㎝くらいの木材を運んできて、「水たまり川」の真ん中に「そっと」置いた。ものの体積と水撥ねの関係を彼に学ばせてくれたこれまでの体験が嬉しい。どうやら、投入した木材を橋にして向こう岸へ渡るつもりらしい。泥水で木材の下半分は見えない。見えないから面白い。こっち側と向こう岸で見守る仲間も興味津々である。

注目の中、いよいよ挑戦が始まった。片足をかける。川底がぬかるんでいるせいで体重を乗せるたびに木材がぐらつく。そのスリルを味わいながら腰をかがめ、全身でバランスを取っている。危なっかしい。真剣さが伝わってくる。頑張れ。思わず応援する仲間。さっきの三輪車のハンドルを手がかりに巧みに、川への落下を防いでいる。ついに両足をかける瞬間がきた。そーっとである。

「あ~っ!」仲間が叫ぶ。傾く木材。両足を乗せた途端、全体重に耐えかねてさらに斜めになった。ギリギリのところで静止。何とか持ちこたえた木材を渡り、彼は無事に向こう岸へとたどり着いた。

ところが、これで終わらなかった。彼は、同じように三輪車の前輪を川に沈めて見ていた隣の友達に駆け寄り、その前輪を力任せに沈め始めたのである。咄嗟に友達も自分の三輪車を降り、阿吽の呼吸で協力し始める。二人の力に沈みこむ前輪。さっきまで水にはまらないようにしていたことの意味もない。すでに足は川の中だ。

エキサイトが止まらない。今度は前輪を深く沈めた三輪車の救出だ。押す。なかなか出ない。一人が三輪車のテールを引っ張り、一人がハンドルを押す。両側から、引っ張る、押す。何度も繰り返す。「バッシャーン!」、「わぁ~!!」、前輪をぬかるみから脱出させて三輪車を救出した代償に泥まみれになった彼。こんなに清々しい泥んこファッションはないだろう。

落ちないように渡るというスリリングな体験。そこで得たぬかるみの面白さ。その面白さを存分に活かしたダイナミックな遊びへの展開。仲間の体験を自分のことのように感じる心。だからこその共感があり、その共感あっての阿吽の呼吸であり、協働であった。すべて遊びの賜物である。感動に満ちた空の行方。子どもごころと秋の空。

 

「つくることはいのち循環」のお話

園長: すぎもと かずひさ (2019年9月30日

「つくることはいのち循環」のお話

理事長 すぎもと かずひさ

 

何とも言えない顔つきでこっちを見ている。子どもの絵だ。渦巻くように大きく見開いた眼、叫ぶように開いた口。ユニーク過ぎて吹き出してしまう。ギザギザの歯が怖い。あの耳の大きさはどうだ。羽にしてどこかへ飛んでいこうというのか。気を失っているのか眼球がない等々、兎にも角にも一筆一筆に子どもの気持がこもっている。どんな心情で描いたのか、想像するだけで楽しい。子どもが楽しんで面白がって描く。これが肝心、保育者の腕の見せ所である。

運動会で子どもはお店屋さんに扮した。何を売るのか、各クラスで話し合いを重ねてきた。そして、みんなで決めたお店屋さん。お店屋さんになった自分自身を描いた。プロセスを重ねるごとにモチベーションを高めていく子ども達。

絵画活動では絵の具はそのまま使わない。保育者は活動のねらいやテーマに応じて色の混ぜ合わせ方や濃さ等を吟味し、園長や主幹に提案する。アイディアは、草木染や色水遊び、ボディペインティング等々、子ども達と共に歩んできた遊びや活動に由来する。こうして用意された絵の具や染料と子どもが出合う。心情が絵に現れる。そんな作品の数々が3歳以上児クラスの運動会シンボルであった。

この保育ストーリーを音楽に展開すると歌になる。「まさか作曲するとは思わなかった」、大役を担った一年目の保育者の言葉である。作曲経験のない保育者に無理を承知で依頼する。その心は「無から有を生み出すことこそ生きている証であること」、「作り手の苦労とそれを超える喜びを体験的に理解すること」である。

鼻歌のように作ればいいよ、という。ピアノやギターで作ろうとすると楽器がよほど達者でないかぎり、自分の技量の枠にはまって自由を奪われるからだ。聴いたことのあるような歌でいいよ、という。ポールマッカートニーの言うように完全なオリジナルなどないからだ。それよりも、子どもの日々の活動から言葉をもらい、運動会遊びの保育物語から言葉を共に生み出すことが素晴らしいのである。まさにこの子ども達、この保育の仲間が存在するからこその創作活動に最高の価値を置きつづけてきた30余年がある。

変なメロディがある。平成生まれやのにどこまで昭和なメロディやねん、と笑い転げることがある。それでも愛しい作品たちである。子どもの絵が笑いながら語り掛けてくる。つくることはいのち循環、一人一人の存在そのものやで、と。

『 こどもどおり まんましょうてんがい 』 のお話 

園長: すぎもと かずひさ (2019年8月30日

『 こどもどおり まんましょうてんがい 』 のお話

 

理事長 すぎもと かずひさ

 

今年の運動会のテーマは 「こどもどおり まんましょうてんがい」。子どもが活動するところ、行き交うところが「こどもどおり」になり、オーライ(往来)!子どもを豊かな個性のままに受け容れようとする姿勢とご飯を意味する「まんま」に手を合わせて、いただきます!さらに、「商店街」と一人一人に焦点の当たるまち「しょうてんがい」をつくろう!そんなメッセージを込めて企画中です。

いらっしゃいませ~、いらっしゃいませ~、本日は、ようこそ「こどもどおり まんましょうてんがい」へおいでくださいまして、誠にありがとうございます。当商店街は世界でも珍しい子ども主催の商店街となっております。その特徴は何といいましても子どもならではのわがままいっぱい、愉快で豊富な商品構成にございます。

主に取り扱っておりますのは、「子どもごころ」と「遊びごころ」になってございます。それゆえすべて手作りの一点ものばかり取り揃えており、いわゆる規格品はございません。また、店主の機嫌や調子次第で同じ商品名でも全くの別物ということも、ごく当たり前のこととなっております。どうぞ気合を入れてご確認の上、ご購入のほどよろしくお願い申し上げます。

また、一度ご購入いただきましたもの、開封されたもの、さんざん使用されたものでありましても、決してお捨てにならないようご注意願います。交渉次第で何度でも商品の交換が可能となっております。各店の店員は一人一人個性的かつ豊かな特性を持っております。商品だけでなく買いものを通じての触れ合いや交流もぜひお楽しみくださいませ。

最後に通貨についてご説明いたします。店員たちはいわゆる「金銭」には価値を見出しておりません。単に身振りを添えて「ちょうだい」と仰ってくださいましても購入いただけることもございます。また、面白いことが大好きなスタッフばかりでございます。ジョークやにらめっこで笑わせたり、じゃんけんやなぞなぞ勝負を挑んだりすれば勝っても負けても素敵な特典がもらえるかもしれません。

それでは、秋のひと時、「こどもどおり まんましょうてんがい」で「子どもごころ」や「遊びごころ」をがっちり買い込んできてくださいね。子ども時代ならではの体験がいっぱい、生涯抱き、育みつづけていきたいこと満載の「こどもどおり まんましょうてんがい」、まもなく開店で~す。生涯繁盛、看板ベイビーを先頭にみんなでお待ちしております。

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