「子ども時代の生きざま」のお話

園長: すぎもと かずひさ (2018年10月31日

「子ども時代の生きざま」のお話

理事長 すぎもと かずひさ

 

子どもと絵の具との豊かな出会いを予見し、溶かし、混ぜ、遊びに適した色をつくろうとする保育者がいる。子どもの見ているところ、眼に触れるところで準備をするのは、「子は親の背中を見て育つ」的に限られた時間の中で子どもの生活と教育を両立させてきた保育者の知恵である。

「絵の具を溶き、適切な色をつくろうとする保育者の姿」が、そのまま遊びの導入の役割を担い、子どもの興味や関心の対象になっていく。一人一人が思うままのペースで保育者と関わり、絵の具と出会い、参加していく。誰もが自らの好奇心から遊び始めるので、自然、能動的な体験で彩られていく。この深まりが、やがて、自らの人生を主体的に生きるスタイルにつながっていく。

赤ちゃんの好奇心が湧き起こった瞬間のハイハイの速さはどうだ。全身で対象に近寄っていくその表情や姿は最早好奇心を通り越し、一挙一動に感激がみなぎっている。意欲どころじゃない。

絵の具に触れ「うわぁー!」、手に付いた色に「あっ!」と、「動」の感動が真っ盛りである。しばらくすると、色の付いた手で布や紙を手で触っては現れる跡や形に気づき、楽しみ、黙々と没頭し始める。「静」の感動である。子どもが自らつくり出す世界の面白さを感じ、継続的・持続的に遊びだす頃合いを見て、保育者は、色を混ぜ、つくるのをやめて、しばし子どもの行動を見守る。

画用紙を滑らせる手の感触は心地いいかな?手の動きに合わせて、変化していく色の混ざり具合はきれい?などと、子どもの遊ぶ姿から自分の用意した絵の具の濃度や色合いについての自問自答を繰り返す。また、紙や布などの色を乗せる素材、筆やローラーなどの描く素材の質と量にも気を配る。何が面白いのか、何を楽しんでいるのかを見極め、自身の専門性に取り込んでいく。

秋である。散歩が楽しい。様々な色の木の葉が美しい。虫食いの葉に教えられて穴を開けていく。「おばけみたい」と笑いが起こる。リスのほっぺのように膨らんだポケットにはどんぐりがいっぱいだ。小枝や枝で魔法をかける。倒木が船になる。数々のファンタジーを園に持ち帰り、園での遊びと結んでいく子どもたち。散歩の感動と絵の具の感動が出合い、さらに新たな世界が現れる。

未知の世界を開く遊び。生きがいの原型をつくる遊び。子ども時代にこそ体験したい生きざまがある。

「こだまや こどもっくる」のお話

園長: すぎもと かずひさ (2018年9月28日

「こだまや こどもっくる」のお話

 

理事長 すぎもと かずひさ

 

世界をくるくる回る子どもたち。小さな身体に溢れんばかりの好奇心を光らせ、あっちへこっちへくるくる、遊び回ります。やってみたいことを積み重ねていくうちに、自然に芽生えてくる活動意欲や主体性。いつでもどこでも、新鮮な感性で眼の前の現象を感受し、思いつきやひらめきを表現し合っているうちに、豊かな情操が耕されていきます。

「世界をつくる」、「仲間をつくる」、「自分をつくる」プロセスに子どもの思いや願いがこだまのように広がっていきます。そんな子どもたちの姿に因んで「こだまや こどもっくる」という今年の運動会テーマは誕生しました。

 ところで、私達大人はなぜ子どもに関わり続けるのでしょう。絵本を見るたびに、作者がどれほどの時間とエネルギーを注ぎ込んで絵を描き、構図や構成を編み出していったのか、その情熱に驚かされます。また、物語のテーマに込められた作者の子どもへの思いに人としての美しさを感じずにはいられません。絵本を手にした子どもの笑顔を思い浮かべ、ページをめくるごとに高まっていく心臓の鼓動を想像し、作品を仕上げていく姿には胸を打たれるばかりです。

このように、子どものためにつくられた環境を見渡してみると、公園の遊具や娯楽施設の数々、玩具や教材、料理、音楽、映像等々、子どもを思う大人たちによってつくられるものやことの何と豊富なことでしょう。誰もが持っている自分の中の「子ども」に語り掛け、赤ちゃんの頃からの記憶を蘇らせてつくり続けては今に実現させていく。その土台の上に、また、新たな創造が生まれていきます。

園庭の土や、花や木々、ダンゴムシやカブトムシ等の生き物に触れ、親しんできた春から夏の教育・保育活動は自然の恵みと一人一人の子どもの創造に満ちていました。花弁や葉は土でつくる顔やご飯を特別に仕立てる子どもの宝物です。自分たちを興奮させてくれる虫たちには家をつくりました。子どもの遊びは創造の連続です。

保育者もつくり続けてきました。012歳児の担任は、子どもの様子と対話しながら、段ボールや遊具等で空間をつくり、手づくり楽器や視覚にも愉しい色や光等の手づくり教材を投入・構成する毎日です。345歳児の担任は、子どものやってみたい、なりたい等の願いを収集し、その実現に向けてつくり続ける子どものそばで見守り、ときに共同して遊びをつくり続けてきました。

キーワードは「つ・く・る」。「こども・っ・く・る」たちのヤッホーが今日もこだましています。

「自由が半端ない子どもたち」のお話

園長: すぎもと かずひさ (2018年8月31日

「自由が半端ない子どもたち」のお話

理事長  すぎもと かずひさ

 

園庭を眺める。スコップにフルイ、プリンやヨーグルト等のリサイクル容器、鍋、フライパン、コンテナ等が、様々に関わられ、目的を持たされて、「遊びの市」が大繁盛である。

自分の身体より大きなタイヤを転がしては積み重ねていく年長児さんは、五右衛門風呂さながらに跨いで身を沈め、悠然と景色を楽しんでいる。ところが、首の塩梅が今一つなのか、さっと飛び出し、あっという間に50㎝四方くらいのウレタンマットを見つけてきた。早速、丸めてタイヤ上部から半分ほど突っ込んだ。いざ、再入浴。マットを背にもたれてみる。「こりゃいい~」、エリマキトカゲ風五右衛門風呂の完成にご満悦である。

そんな友の様子に誘われて隣では新たな五右衛門風呂の設置が急ピッチで始まっている。タイヤが積み上がる早さに並々ならない思いが伝わってくる。しかも、ウレタンマットはタイヤの下に1枚、首の後ろに1枚、さらに手に1枚の3枚仕様である。やはり後発隊、クオリティをあげてきた。雨や外敵から身を隠せるように手に持った1枚が屋根になる寸法だ。頭までタイヤに潜り、蓋のように開け閉めしては、明と暗を楽しんでいる。隙間から辺りを窺い、知った顔が現れると「わーっ!」と、隠れる喜びを見せびらかしている。それを見た最初の彼もじっとしてはいられない。急いで新たな部材探しに出かけてゆく。かくして、スペシャル五右衛門風呂づくりの知恵比べがつづく。

その横では、ままごと遊びを楽しんでいる3歳児さん。ご飯を入れていたステンレス製のボールを持って、どこかへ差し入れにでも行くのかと思いきや、いきなりボールをひっくり返して被った。あれ~、イメージチェンジどころじゃない。ところが、この突然の行為が垂涎のヘルメット・ファッションを生んだ。彼の姿にキョロキョロしだした友の視線は、俄然、まあるく光る物体に向けられる。柳の下の泥鰌を狙う眼だ。しかし、無い。無いから探す。とにかく被る、被ってみる。匹敵する被り物を見つけまショー・タイムである。

ここで、まさかの三角コーンが脚光を浴びる。重さも視界も関係ない。マリー・アントワネットもびっくりの頭の高さである。一人、二人、三人と愉し気で可愛い行列ができてくる。ピョンピョンと森の小人さんと見紛う不思議な世界が現れる。

使い道を知らない自由、見た目を持たない自由が子どもの半端ない行動を生みつづける。目的最優先で自由にものと関わる感覚。遊びの創造世界、子どもの楽園の原点である。

「こころのハーモニー」のお話

園長: すぎもと かずひさ (2018年7月31日

「こころのハーモニー」のお話

 

理事長 すぎもと かずひさ

 

 僕は生まれて10ヶ月。ある日泣いていると、「Aちゃんどうしたの~」、といつもの声がやってきた。心地よいトーン。語り掛け、歌い掛けなどというらしい。同時にいつもの匂いが立ち込めてくる。「エーンエーンしてたなぁ」と覗く顔。待ってたよぉ、と僕。しゃべれないから泣くしかない。「うんうん」ってアヒルさんみたいな口が可笑しい。「そうね~」って僕のこと何でも知っているの、お見通しですか。見つめる瞳が優しい。ふんわり包まれるように手を握られた瞬間、甘えたい気持ちが一気に流れ出た。「ウェーン、ウェーン」こらえきれずに僕は身体をバタバタ暴れん坊に大変身。すると抱っこでトントンって嬉しかった。さっきまでざわざわしていた僕の心は落ち着いて、いつの間にか眠ってしまったんだ。

 私は2歳、「自分で~」は最近の口癖。「えっへん!」いろんなことができるのよ。先生が机や椅子を並べ始めた。そして、おしぼりにエプロンときたら「お昼ごはーん、ハイ、大正解~」。早速、「お手伝い開始~」、椅子を運んで「よいしょよいしょ」。「ありがとう」って先生に言われたらますます張り切る私。モチベーションが上がるってこういうことなんだと思う。その時、「ガッシャーン!!」青天の霹靂。転んだ。食器にぶつかった、これが本当の「ショッキング~」。痛さより悲しかった、おかずが散らかりみんながガヤガヤ集まってきた。「Bちゃん、大丈夫?痛いところない?」先生が心配そうに語り掛けてくれた。私はただただ泣いた。しばらくして、先生が耳元で囁いた。「Bちゃん怪我がなくてよかったね。Bちゃん偉かったね。お手伝いがんばってたものね。Bちゃんが泣いたら先生も悲しかった」。私は先生が大好きになった。

 子ども=人間の理解には、瞬間的理解と長期的視座からの理解がある。瞬間的に子どもの心情を受け止め、共感的に理解することは大切ではあるが、それを支えるのはいつもどんな時でも自分の生涯をかけて子どもを理解しようとする信念であり、態度である。一時的にボタンの掛け違いがあったとしても長期的視座からの理解に努めていると、やがてその態度から思いが通じ合うこともある。

 子どもを愛する人は、子どものことをよく知る人である。よく知る人は、共に歩く人、同行性である。共に歩くからこそ見える景色がある、分かち合う世界がある。泣きたいときほど味方になる。頑張っているときほど響き合う。こころのハーモニー。

「本気の夏がやってきた!!」のお話

園長: すぎもと かずひさ (2018年6月29日

「本気の夏がやってきた!!」のお話

理事長 すぎもと かずひさ

 

水たまりが呼んでいる。きらめく水面の向こうに躍動の未来がある。築山のてっぺんから飛び込む寸前の顔はもう弾けている。「バッシャーン!」、元気の塊と泥水が一緒に周りへ撥ねてゆく。一人一人の自由な振る舞いが顔や身体に飛び散って服と心を染めてゆく。

「お風呂~」と言えば風呂になる。築山の斜面に座り、足湯さながらに水たまりをジャブジャブする。並んですると楽しい。足の動きと水の動きと心持ち。揺れに揺れて音が鳴る。楽しさで勢い早くなる、激しくなる、笑いになる。「わたしの世界」と「友達の世界」が子どもの数だけ入り混じって人数分以上の「現在」が現れつづける面白さだ。

海といえば海になる。川との違いはときにない。メダカもタコも一緒に遊ぶ。無関心な隣人がいれば眼の前でニョロニョロする。タコの求愛活動だ。隣人はあっという間に手に落ちる。否、タコだけに「足に落ちる?」、これが本当の「八本美人?」。メダカは何処へ、友達もイメージも吸い付けて「バシャバシャバシャ・・・」千手観音仕様の手足が大活躍だ。

誰の顔も泥に汚れている。こんなはずじゃなかった。いつの間にか付いた。夢中の仕業だ。「一人の夢中が二人の夢中、二人の夢中が三人の夢中、四人、五人、六人~忍法、影分身~!!」

プールである。陽気が味方して水温や水の感触が心地よくなってくると自然に手が伸び、足が伸びて水に親しんでゆく。無理強いはしない。水の苦手な子どもにとって予期せぬ水しぶきや波動は緊張を生み、プール遊びのねらいの一つである「ダイナミックかつのびやかな動き」を遠ざける。顔の表情や心身の様子に応じて徐々に親しんでゆく。

それでも夏の終わるころには「見て!見て!」と顔を付け、飛び込み、伏し浮き、両手両足を回し、まさに「自由形」、何泳ぎであるか判別不能なオリジナル泳ぎの数々を見せてくれるのである。「見て!見て!」こそは、子どもが自らの成長を実感し、身近な人にその喜びを分かち合ってほしいという証である。広げゆく新たな世界が愛おしい。

カンカン照りのお日様にみんなの影が踊っている。一人では踏み入れることがなかった「子どもの世界」である。子どもと子どもを結び、元気と元気を掛け合わせ、イメージとイメージを繋ぎ、様々な風景と現象を紡ぎゆく「土」と「水」。本気の夏がやってきた。

 

※家庭で、戸外で、水の事故には十分ご留意ください。

※「汚れものは遊びの勲章」とは言いますが、洗濯等の手間は父・母・きょうだい等で分担しましょう。

 

「中学生がくれた保育の真実」のお話

園長: すぎもと かずひさ (2018年5月31日

「中学生がくれた保育の真実」のお話

 理事長 すぎもと かずひさ

 

「僕がな、寝ようと思たらな、お姉ちゃんがな、おってな、優しくトントンしてくれはってん。何かな、嬉しくなってな、タオルケットに隠れてな、バァーってした。そしたらな、お姉ちゃんがな、めちゃ笑ってくれはってん。とってもいい気持ちになってな、嬉しかった。」

1歳児クラスの男児の心情を代弁してみた。午睡前の彼を喜ばせたのは、この日体験授業で保育に参加していた女子中学生である。園のOGでもある彼女は、10年程前は眼の前の園児と同じように午睡をしていた。身も心も大きく成長し、世話をする側になって再び園へ訪れたというわけである。

嬉しい気持ちで入眠すると良質な睡眠に恵まれる。また、目覚めの温かな関わりは寝起きの上機嫌をもたらし、その後の活動意欲を盛り上げる。

たかが一瞬、されど一瞬。「子どものそばにいる」、その意味と在り方。「優しい気持ちが醸し出す」雰囲気と表情。子どもにトントンする柔らかなタッチ。「いないないばぁ」に応える笑顔。愛情が宿る仕草の一つ一つが伝わり、男の子は自らの喜びを「いないいないばぁ」で返したのであった。なおも笑顔で応える彼女。子どもと保育する者の間で「喜びのコミュニケーション」が見事に、対話的に繰り広げられていた。

場面を転じる。3歳児クラスの保育室。カプラの塔がそびえ立っている。見ると子どもたちが手に手にカプラを持って自分の倍の背もある男子中学生に積んでとばかりに群がっている。期待に応えようとする彼。固唾をのんで行方を見守る子どもたち。「カプラの塔よ、高くなれ」という願いとチャレンジする男子中学生への憧れがどんどん高くなってゆく。

園庭に目を移すと別の2歳児さんが頭から水をかぶっては「うわーっ」、泥まみれになっては「おーっ」っと元気を迸らせている。そのそばでもっと楽しんでとばかりにホースの先をつぶして水のトンネルをつくる女子中学生がいる。くぐっては歓声を上げる子どもたちと戯れ、まさに「交歓会」がたけなわだ。

ランチルーム前では女子中学生が道案内さながらの3歳の女の子に左手を引かれている。役に立つ喜びいっぱい得意満面の女児に身を任せ、もう片方の手は甘えん坊真っ盛りの男児に奪われている。助けられる喜びと必要とされる喜びの真ん中ではにかむように笑っている。

「幸せは豊かなコミュニケーションにあり」。保育の専門的な学習を経験していない中学生の彼らが垣間見せてくれた「保育の真実」である。

「養護と教育の一体的展開・2歳児の靴の巻」のお話

園長: すぎもと かずひさ (2018年4月27日

「養護と教育の一体的展開・2歳児の靴の巻」のお話

  理事長 すぎもと かずひさ

 

2歳児クラスの女の子が地面にへたり込んでいる。左のつま先を申し訳程度、靴に入れて動かない。この年齢、発達過程の子どもにとって「自分で靴を履く」に必要な技量とその未熟さゆえの労力は相当である。さらには、足の甲を挿入するほどに引きずられるようにベロが中へ折れ曲がったり、足の裏に付着した砂や小石が底や側面で忍者のまきびしのようにごろごろしたりなど、不快感が意欲を削ぐこともしばしばである。彼女にしてもすでにそのような事情で出ばなをくじかれているのかもしれない。「自分で靴を履き切る」という憧れの未来像へ到達するにはこのような葛藤をいくつも乗り越えなければならない。

「達成感を子どもへ」。揺れる思いで固まっている彼女へ思いやりをかける。眼の前でやおら靴を履き始める私。「う、うん、む、難しいなぁ」、足の挿入がままならない私の様子に彼女の視線が釘付けになる。「甲高、幅広で泣かされてきた経験よ、今活かされん!」とばかりに演じる。「ほう!うんしょ!」、ようやくつま先が入る。身を乗り出すように私を見つめる彼女。自らを重ねているのだ。

いよいよ仕上げ。かかとの挿入である。靴ベラ代わりの人差し指の出番だ。隙間が狭くてなかなか入らない。体重をかけると、かかとの位置が沈んで靴の後ろを踏みつけますます隙間がなくなる。何という難しさ。「ひぃひぃ」言いながら懸命に人差し指をこじる私。気が付くと彼女も可愛い人差し指を靴のかかとに入れ、第一関節が直角になるほど力を込めて引っ張り始めているではないか。

よーし、競争だ。おさなごころに火をつける。彼女より少し早くに片方を履き終え、「やったぁ!自分で履けたぁ!」と小躍りして見せる。そんな私を尻目にウサギとカメの童話さながらに、もう片方に取り掛かる彼女。さっきまでの葛藤は、砂や小石などの不快感はいずこへ。速い。私が「あっ!うん!」と苦労している間、まさに、あっ!という間に履き終えたかと思うと私のことなど眼中にないといった風情で後方のスロープへ走り去っていった。

「憧れの自分像」を獲得した喜びを元気に走る彼女。乳幼児の教育・保育のキーワードに「養護と教育の一体的展開」がある。「子どもの心持ち、情緒への配慮=養護」をしつつ、「子どものやりたい(欲求)や成りたい(願い)を実現してゆく=教育」の方法を指す。彼女の陽気な「靴が鳴る」。

『 豊かな原体験のプレゼント 』のお話

園長: すぎもと かずひさ (2018年4月 7日

『 豊かな原体験のプレゼント 』のお話 

理事長 すぎもと かずひさ

 

 感謝と祝福、大好きな言葉です。一人一人の子どもさんと保護者さんとの出会い、一期一会を大切にかみしめてゆきたいと思います。弊法人の理念は「いのちを大切にすること」。この理念に基づいて教育・保育の実践に精一杯、邁進してゆきたいと考えています。

 第一は、子どもさんの安全です。コップ一杯の水で溺死する、プチトマトやリュックサック、ヨットパーカーのひもで窒息死するなどの事故例に学び、安全の確保に努めます。また、運動遊具や布団にマット、様々な形状の玩具、鋏など、素材や道具などの環境を用意する度に、リスク要因についての検証を行い、誤飲やけがなどの事故防止に努めます。

 第二は、情緒の安定です。一人一人の子どもさんの姿や状況をありのままに受け止め、温かに、しなやかに関わりを深めてゆきます。保育の専門性は子どもと共に歩む「同行性」にあり、「子どもと保育者」または「子どもと子ども」の関係性を発達させてゆくところにあります。愛着や基本的な人間信頼を人生の土台に「人間が大好き」と感じる子どもに育つよう努めます。

 第三は、個性の尊重です。子どもは誰もが「天才」と呼ぶにふさわしい無限の可能性を持っています。また、それぞれのご家庭には大切にされている家訓や育児方針、様々な生活スタイルがあることでしょう。ゆえに、人はそれぞれに違い、違いがあるからこそ出会いは素晴らしく、それらを結集することでさらに豊かな生活や遊びが生まれてゆきます。「この園で本当に良かった」と感じる心が育まれるよう豊かな人間社会を構成し創りゆくかけがえのない「ひとり」を愛し、たたえ合い、認め合う「わたしたち」のあり方を探究します。

は、能動的な活動の保障です。子どもは、自分の興味や関心、好奇心に基づいて活動するとき、生き生きとそのいのちを輝かせ、自然に意欲を高めてゆきます。自己を発揮することにより充実してゆく子どもごころに留意し、子どもの姿や意志、願いが今日から明日へとつながるよう教育・保育の内容や環境構成の充実に努めます。

 最後に、豊かな生活へのこだわりです。衣食住のプロセスを味わい、ものの成り立ちを理解し、やがて衣服や食材・食事、住処などをつくってゆきます。自らの生活に関わり、創り、背負うライフスタイルこそはいかなる時代にあっても通用するに違いありません。人工知能との共生時代を生きる子どもたちへ「豊かな原体験のプレゼント」です。

『 童心を引っ提げて船出 』のお話

園長: すぎもと かずひさ (2018年2月28日

『 童心を引っ提げて船出 』のお話

 

理事長 すぎもと かずひさ

 

戸外が大好きだった。土を触り、花を眺め、ダンゴムシを見つめては好奇心を高めていった。土や砂を触ると手の跡が現れる。手を動かすと動かすなりに軌跡ができる。「表す」と「現れる」。その相互作用に夢中になった。手足や身体を操作する面白さ。こんなふうに物心がつく前から自然に描いていた。描画活動の始まりであった。

上には色々なものがあった。木の葉はその一つだった。握ると手のひらで光った。地面には大きい、小さい、浅い、深い、様々な穴があった。全身を動かし、這い、穴のところで手を放した。木の葉は指から穴へ落ちていった。あっちの穴からこっちの穴へ、移動させては「無い」と「在る」を楽しんだ。つぎに、石を入れ、砂を入れ、水を入れた。「ひとつ」から「ふたつ」、「みっつ」、そして、「いっぱい」を味わった。

「ちょうだい」と声がした。にっこり眼で両手を差し出す人がいた。嬉しくて、握っていた葉をあげた。葉は、喜びであり、宝物だった。「あ~と~(ありがとう)」と頭を撫でられた。温かかった。嬉しくなってもっともっとあげたくなった。

遊びは、そのやり取りの根本に「喜びの交歓」がある。だから盛り上がる。発展する。仲間が増えると、喜びは倍増。どんどん動いて、遊び回った。探索活動は冒険だった。

2歳、3歳と大きくなるにつれ、願いも大きくなってきた。食料や着物、住居などの日用の糧を遊びに再現した。モデルは日常の生活体験だった。紙でも、粘土でも想像を膨らませるだけで何にでも見立てられた。どんどん作った。作ることが大好きになった。

4歳になると、本ものの種をまいた。種は可愛かった。いつも遊んでいる土の上にそっとまいて、土をかけ、祈った。水をやり、毎日祈った。発芽。踊り出すほど嬉しかった。世話の度に愛しさが募った。花が咲き、実ができた。みんなで食べた。美味しかった。ままごと遊びに「本もの」がやってきた。

年長さんになった。藍、米、大豆、味噌、梅干しなど、さらに「本もの」をいっぱい味わった。天気や温度に一喜一憂した。水や塩などの分量や調合を科学した。不思議の都度に「何で?」と考え、話し合った。先日の「童心のつどい(表現遊び発表会)」の孤高の「被り物」。藍葉、羽、花や枝等々が山盛り飾られて、頭の何倍もある高さのものや左右非対称の個性的創造性に満ちた唯一無二の作品ばかりだった。まさに体験を飾り、慈しみ、被っていた。

「環境と関わり、活用することによって生命を発揮する人間へ」。童心を引っ提げて船出。

『 永遠の童心に拍手 』のお話

園長: すぎもと かずひさ (2018年1月31日

『 永遠の童心に拍手 』のお話

 

理事長 すぎもと かずひさ

 

大豆の収穫に行ったら鞘にない。「えーっ!」。「驚き」と「ショック」、育ててきた大豆への愛着が「喪失感」に拍車をかける。ただならぬ雰囲気の子どもたちである。一人、二人、三人と急いで探し回る。「探し物は何ですか~♫」、のんきな雰囲気はみじんもない。「あったー!」、「おったー!」見つけた愛おしさからか、「だいずん」という名前が与えられる。「味噌づくり」の材料として園に持ち帰る心持ちのどんなに嬉しいことか。

 枝は散歩の友である。「剣」や「釣り竿」、まさに万能、文字通り「魔法の杖」にもなる。さらに、ぽきんと折ることで絵筆として大活躍する。ぽきんと折れるたびに遊び回る。室内飾りやままごとの素材になる。「小枝」を「自由の象徴」として捉える子どもの感性が駆け回る。小枝の名前は「もっくりん」。保育室はそんな彼らと子どもの足跡でいっぱいである。

藍染料のもととなる「すくもづくり」では、自ら育て、収穫した藍の葉を発酵させる。90ℓのポリバケツに5㎏の乾燥葉を入れる。落し蓋のようにタオルを敷いて上蓋を締める。秤、棒温度計、砂時計、グラフ、色鉛筆は必需品。毎日一定時間に観察と記録を繰り返す。発酵すると熱が出る。ふたを開けた途端、「汗かいてはる~」、「納豆みたい~」、「お酒みたい~」、「発酵」と子どもの出合うところ「すっちゃん」はすくすく育てられた。

綿の葉に虫がいる。葉巻虫である。「どこからきたん?」「なんできたん?」、葉巻虫は答えない。答えないから空想が始まる。葉をくるくる巻いて服のようである。筒状になった葉の両端の穴から時々覗いているという。「なんで覗いているのかな?」、「なにを見てるのかな?」、好奇心は止まらない。「わかった!綿を見てるんとちゃう!」、こうして綿の番人「わたまる」となった。

子どもとの一年を振り返る。「どの場面を表現遊びのテーマにするか」鮮烈な体験を写真やエピソードをもとに、改めて子どもたちに紹介する。ミーティングもまた鮮烈である。小さな瞳をくるくるさせて顔を見合わせる。のけぞるように自らの体験と空想を束ねてゆく。「童心のつどい(表現遊び発表会)」の内容は子どもの生活体験とその時々の思い付きやひらめき、仲間との共同によって昇華されてゆくプロセスである。

担任が語る。子どもを語る、保育を語るうちに涙があふれてくる。その向こう、生き生きとした子どもの姿が見える。永遠の童心に拍手。

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