「遊びの場が磨きゆく子どもの秋」のお話

園長: すぎもと かずひさ (2020年10月30日

「遊びの場が磨きゆく子どもの秋」のお話

 

理事長  すぎもと かずひさ

 

光や風、水や土との様々な出会い方をしてきた子ども達。草花のみずみずしさに心打たれ、一粒の種の生命力に驚き、小石の裏や草の間に現れ消えるアリやダンゴムシ、チョウやバッタに歓声を上げては、泥んこになって遊びまわってきた。

「うちのお庭がジャングルで~(^^♪」の歌の歌詞じゃないけれど赤ちゃんや小さな子ども達にとって、園庭や近所の道、公園は好奇心の住処であり、道草のネタに尽きない。その世界との出会いを一人一人の仕方で仲間と絡ませ合いながら、味わいゆくところに「アクティブ・ラーニング」「環境を通して行う保育」の妙味がある。

子どもの視界に飛び込んでくる石段や地表の凸凹、生い茂った垣根の根元などなど、環境の様相のあれこれが、「のぼる」「こえる」「わたる」「くぐる」「とぶ」などの行動を誘い出す。当初は「飛び降りる」といった行動だけを楽しんでいたかと思えば、繰り返しているうちに「やーっ」とか「びゅーん」などと叫びが運動と共に放たれるころには、動きに魂が宿り、心身一体の活動が溌溂として躍動感が友の間を廻り仲間の絆を編んでゆく。

静的な場面でも心は動きつづける。木製ベンチに溶けるように抱きつき、表面を撫でる子どもの姿は、どれほど心地よい感触がその木肌にあるのかと他の者を羨ましがらせる。居心地良さそうな表情や姿は、静かにしていながら仲間を引き寄せる。このようにどの子も、それぞれの、その時々の仕方で世界との出会い方を楽しみ、披露してくれる毎日である。

繰り返すから昨日の自分や過去の体験を活かせること。その軌跡の先に今日の新たな工夫やひらめき、冒険や挑戦が生まれること。仲間の数や個性・特性がのびのび自由に発揮されるほど、自分の仕方とは異なる多様なイメージや環境とのかかわり方、モノやコトの見方や考え方に出会えること。一人一人の子どもが個性的・想像的創造に満ちた物語を生成しながら、自己と仲間の活動を流動的かつ躍動的に充実・交歓してゆく場が「遊びの場」であること。これが新たな教育・保育要領や教育課程で示されている「主体的・対話的で深い学び」の実相である。

遊びの場には子どもの「やりたい」が集まってくる。意欲の塊が爆発する場と言っていい。このエネルギーと森羅万象との出会い、紅葉や団栗との出会いが美しく降り積もり、切なくなるくらいの自然への憧憬が育まれる季節である。感動体験の連続が子どもの秋を磨いてゆく。

『 子ども時間と遊びの哲学 』 のお話

園長: すぎもと かずひさ (2020年9月30日

『 子ども時間と遊びの哲学 』 のお話

理事長 すぎもと かずひさ

 

「えんちょう~せんせぇ~」と子どもらが呼ぶ。何とも表情豊かな声音に心揺さぶられて「ふぁいふぇいぷーぷー」と音声を重ねるわたし。思わず子どものイントネーションとリズムを模倣した格好だ。意味がない言葉に子どもらが笑う。意味はないけれど面白い要素がある。聞き覚えの無い音声の奇妙な感じ?インスタ映えするわたしの顔の表情?はたまた全身から発せられる雰囲気?何が滑稽なのか定かでないが、笑い転げる。嬉しくなる。

「ふぁいふぇいぷーぷー、ってなんや~」と言いながらもう真似を始めている。「ふぁいふぁいふぇいふぇい、や」と意味不明の説明をさらにするわたしの後から、「わいわいひゃいひゃい」とか「べっべいぺいぺい」などのアレンジをどんどん加えていく。その姿が面白可愛くてわたしも笑う。かけがえのない「子ども時間」が流れていく。即興表現ならではの世界を散歩するように楽しむ一コマがある日常。その大切さを思う。

先日、保育の質について語り合うある場で「古代には古代の、平安時代には平安時代のリズムがあって歌や舞、日常の所作や言葉遣いにまで大きな影響を与えていたことを思うと、現代の日本社会のリズムが子どもに及ぼす影響についてあらためて捉えなおす必要があるよね」との発言があり、大いに共感したのだった。前出の「ふぁいふぇいぷーぷー」も「子ども時間」にふさわしい時間の流れ方、リズムがあっての産物にちがいない。

子どもは行動することで学ぶ。「実生活」の行動に関わることで学ぶ子ども達の「実生活」は、多くの場合、大人に主導権があり、子どもの体験は身近な大人の考えやスタイルに左右されてしまいがちだ。忙しいとき、心を奪われているとき、ついリズムを忘れて行動するわたしがいる。そんなときほど、深呼吸をして「遊び=ゆとり」のこころを取り戻そう、と言い聞かせる。

年長児さんが作ってきた子ども神輿が輝いている。子どもの自由な発想が生きる意味、生きてきた価値を表している。「遊び」を流動的に創出し、「仲間」の参画も自由に一人一人の子どものリズムやペースで制作に関わってきた。過去と現在が幾重にも織り重ねられて眼前の現象として現れている。そのヒト・モノ・コトの相互作用の一つ一つが生起する瞬間に「子ども時間」があったにちがいない。遊びを通して生きる意味を哲学する子ども達。遊びは子ども達の勲章そのものである。

「あいだのいだちゃんのあいだ」のお話

園長: すぎもと かずひさ (2020年8月31日

「あいだのいだちゃんのあいだ」のお話

 

理事長  すぎもと かずひさ

 

コロナ禍の中で学んだことがあります。青空卒園式に青空入園・進級式の際には、簡略化したにもかかわらず、新たなスタイルでの持ち方に、子どもはもとより多くの保護者の方々から「かえって記念になる」「よかった」などと、肯定的なご意見をもらい嬉しかったこと。何となく申し訳ない気持ちを抱いていたスタッフは本当に救われた気持ちになったのでした。

その後の保育の自粛や参観の中止、年長児の野染め体験の子どものみでの催行、さらには日々の感染拡大防止策へのご協力等々、枚挙にいとまがないほどのご理解とご協力をいただいてきました。今もなお、さらにこれからもコロナ対策を共に行いながら「新たな生活様式」の中での保育の継続的な実施に向けてこれまでにないご理解とご支援をいただきますことは、本当に有り難く、勇気の追い風をいただいているような感があります。

さて、運動会の持ち方についてです。京都府保育協会主催の保育のキャリアアップ研修はこの8月に今年度の研修を開始しました。その皮切りとして「コロナ禍の中での保育の仕方」について、大阪府済生会中津病院. 臨床教育部 部長 安井 良則.先生に一問一答式での研修を行いました。運動会の持ち方についてもお尋ねし、次のような回答をいただきましたので紹介します。

1.      新型コロナウイルス感染症は大人の感染症であること。子どもが罹患してもほとんどの場合無症状、もしくは軽症であり「経過観察」で終わること。また、子どもから子どもへの感染事例は少なく、日常の保育で子ども同士が遊ぶことや運動会を子ども同士で行うことには、さほどリスクを伴わないこと。

2.      大人から子どもへの感染事例はあるので、職員や保護者など、大人からの感染リスクを低減するよう努めること。したがって、保護者が参加する競技や応援の仕方などには留意すること。

以上のことを踏まえ、保護者同伴の参加になる012歳児については、運動会の日に合同で行わず、代わりに通常保育の中で子ども達のみで「運動遊び」として行うことにいたしました。345歳児クラスについては、子どものみで行うことが可能な競技を例年通り、保護者の参観のもと行う予定です。詳細につきましては、その都度、別紙でお知らせいたしますのでご覧ください。

 今年度のテーマは、コロナ禍であらためて学んだ人と人との「あいだ」です。黄檗のTシャツにはつないだ手で空を飛ぶ仲間の真ん中に

『 氷遊びの年輪 』のお話

園長: すぎもと かずひさ (2020年7月31日

『 氷遊びの年輪 』のお話

理事長 すぎもと かずひさ

豆腐大の氷がきらめいている。つややかに溶けて何とも魅惑的なフォルムである。その様子をじっと見つめていた0歳児さんが思わず手を出した。触れた途端に「アッ」と驚く。未体験の冷たさだ。手を引っ込める表情が可愛い。眼は氷を捉えたままである。刺激は面白い。冷たさの驚きが、好奇心を呼び覚まし、触りたい欲求を掻き立てる。もう一度タッチ!触っている時間が長い。触って濡れた手のひらを眼の前にして眺めた次の瞬間の「ニカッ」。驚きはもうなく、期待通りの感触を得て満面の笑みだ。1分にもならない時間の中での新たな世界との出会い、豊かな体験であった。

長梅雨の僅かな晴れ間のことである。2歳児さんが氷遊びを楽しんでいた。色とりどりに色づけられた氷は様々な大きさや形をした容器でつくられ、中には子ども達が昨日摘んだ花びらや葉っぱを閉じ込めたものまであった。牛乳パックでつくられた氷は四方の紙を剥がしていくと視界に現れて楽しみを増幅する。プリンカップや製氷皿でつくった氷は子どもの所有欲を満たす。持てるくらいの大きさ、冷たさになってくると一人一人がそれぞれに宝石のように手に持ち、見せ合ったり並べっこを楽しんだりしている。子ども達の眼も氷と呼応するように輝いてくる。氷の向きや角度を動かすたびに新たなきらめきと出会う。氷に透かして見上げる青空と光のハーモニー。1秒、2秒、3秒・・・美しさを堪能する真剣な眼差しに時が止まってみえる。青く色づいた氷が持つ指の体温で溶けて、掲げた手から手首の方へ滴っていることさえ気づかない。

さらに、年齢を重ねると氷遊びは継続的で意味のある遊びに展開していく。乳児さんの頃からの経験から水を冷やすと氷になることを学んでいる子ども達は、絵の具や草木できれいな色ができるたびに氷にしたいという思いを募らせる。10個入りの卵パックの窪みを活用して暖色、寒色のグラデーションを楽しんだり、透明カップに指で渦模様を味わうように混ぜたり、スポイトで落としては沈殿するさまや複数の混色を上下左右から眺め、楽しむ工夫を凝らしたり、氷にするまでの様々な過程を楽しんでいく。楽しんだ分だけの願いと愛着を抱きながら氷の完成を待つ子ども達。

 仲間と一緒に作った大切な色水をこぼさないように冷凍庫まで運ぶ34歳児さん。自分たちの冷凍庫を備え自由に氷づくりを楽しむ年長児さん。初めて氷を触って驚いたあの日。開拓の月日、氷遊びの年輪が美しい。

『 愛は藍より出でて 藍より愛し 』

園長: すぎもと かずひさ (2020年6月30日

『 愛は藍より出でて 藍より愛し 

 

理事長 すぎもと かずひさ

 

「藍の栽培から染料づくり、藍染まで、いのちの循環の体験学習」を年長児さんの教育活動に取り入れてから早や6年が過ぎました。当初は、子ども達が散歩で持ち帰った花や葉っぱを鍋でぐつぐつ煮出し、草木染ごっこを楽しんでいましたが、いろいろな色が欲しくなってきた子ども達。そんなある日、「青が欲しい」との一人のつぶやきから、ワイワイガヤガヤ自然の色図鑑とのにらめっこが始まりました。こうしてたどり着いたのが「藍」でした。ところが、「藍」は簡単に手に入りません。ここから保育者の奮闘が始まります。子どもの願いを実現しようと、インターネットで「藍の種あげます」というサイトを見つけ、種を手に入れ、一から栽培しようというのでした。同じころ、「染めのおっちゃん」こと斎藤洋先生のギャラリーで染太郎さんという方の藍作品展があり、訪れた際に、今日に至るまでお世話・ご指導いただくことになる由良川藍同好会の花城さんご夫妻や宇都宮大学の佐々木和也先生との有難いご縁に恵まれました。

藍の種蒔き、育苗、苗の畑への定植、生育状況及び畑の維持・管理、刈り取り、葉の乾燥、染料のもととなるスクモ作りにおける葉の発酵状態の管理、藍建て、藍液の入った藍甕の攪拌・管理、藍染、種の採取といった一つ一つのプロセスを右も左もわからない素人が行うのですから、大雨が降ったら「ギャー」、元気がないと「ウーン」、染まりが弱いと「ガーン」等々、心配するところと手をかけるところの判断もできないままの一喜一憂が続きました。その都度、前出の先生達へメールを送っては、ご助言いただいたり、足りなくなった苗やスクモをいただいたり、遠路はるばる畑や、スクモ、甕の状態を見に来ていただいたりしてきたのでした。このようにして、何とか今日まで一人一人=すべての子どもが種蒔きに始まる全工程を行い、自ら見守り続けてきた藍液で、世界に一着しかない個性豊かなTシャツを着て巣立っていくことができたのです。

3月、前年度の年長さんから、「藍の種」をもらった年長さん。小さな手のひらに、さらに小さな一粒の種を載せ、見つめた感動の出会いから、コロナ禍の中、それでも、ようやく梅雨の晴れ間の昨日、藍の葉の「一番刈り」を行うことができました。

青々と伸びゆく藍と子ども達の姿に「青は藍より出でて 藍より青し」の故事とその子を思い「手間をかける愛しい日々」を実践する大人の姿を重ね「愛は藍より出でて 藍より愛し」との掛け言葉が重なるように浮かんできます。

 

『  はるかな世界に夢を見る  』のお話

園長: すぎもと かずひさ (2020年5月29日

『  はるかな世界に夢を見る  』のお話

 

理事長 すぎもと かずひさ

 

視界が広がる向こう。数㎝先の空。手を伸ばす。寝返ると景色が変わる。その面白さ。触りたい。届かない。身体を伸ばす。行ってみたい。憧れ、冒険への欲求。そんな思いが全身に漲り、子どもはその心も体も大きく育んでいくのだろう。仕草、動作、活動の一つ一つが、手や足の指の隅々の、頭の先からつま先の部位の一つ一つが全身へと連なって、さらに全霊の気持ちを宿らせて周りのヒト、モノ、コトと関わり、繋がっていく。その世界、雰囲気に魅了され、この後の未来を期待する。

「子ども劇場」の始まり。登場人物になりたい気持ちを隠して、見つかりたい隠れん坊さながらに様子を窺い、彼の視界に入るか入らないかギリギリのところへ寝転んでみる。ライバルは真横の座布団である。ふんわりとしたフォルム。日差しを浴びて魅惑的に埃をきらめかせている。床面すれすれの上と下、あっちやこっち。肌ざわりの固い、柔らかい、ツルツル、ザラザラ、凹凸の触れる場所ごとの感触を味わい尽くすようにそろりそろりと這ってくる。絨毯が参加する。フローリングが参加する。座布団。そして、私の出番。ワクワクが止まらない。

彼からやってきて「くれた」。何よりのプレゼントである。お腹の上で立ち止まる、否、這い止まっている。撫で撫で、擦り擦り、くすぐったい。彼も気持ちがいいのだ。やめる気配がない。この境界の無さ、一体感、一緒の心地よさ。笑いが漏れる。お腹が揺れる。彼も揺れる。こんなふうに私「と」の関係を結んでくれる。幸せな感じ。時間の有難さ。ほんの数分の時間が彼と私を結んでくれた。

外に出る。子どもの景色が広がっている。園庭のそこかしこに魂が踊っている。自由がある。自由である。自由な活動の背景にはゆったりとした時間がある。思い思いに時間を遣い、活動しては、ヒトやモノを結んで「場」を作りつづける子ども達。生き生きとしている。溌溂としている。没頭している。夢中になっている。主語は子ども達である。

「行動」は「時間」を必要とする。「行動」はバラバラに存在するヒトやモノを結び「場」をつくり、「世界」を広げていく。その「世界」をつくり、広げていくプロセスの中で、子ども達は、新たな自己と出会い、気づきを発見し、仲間と関わり、学びを深めていく。子どもの主体的な活動、主体性を育むために、まず必要な自由を保障すること。空間的・物理的な「場」よりもはるかな世界に夢を見る。

「困難の中の豊かな保育」のお話

園長: すぎもと かずひさ (2020年4月30日

「困難の中の豊かな保育」のお話

理事長  すぎもと かずひさ

新型コロナウイルスの市中感染が広がり、感染や見通しのない不安を抱えながら、ライフラインの堅持に奔走されている方、また、経済活動の影響に多大な被害を受けている方、在宅勤務と子育ての両立に奮闘されている方、知己の罹患や基礎疾患等のハイリスク要因をお持ちの方のケアやご心配等々、皆様には平時にはないご労苦に向き合い、心身共に消耗する日々をお過ごしのことと思います。心からお見舞い申し上げ、敬意と感謝の意を表します。

5月と言えば慣らし保育を終える頃の乳児さん、探索活動を自由に楽しみ始めている12歳児さん、「土」で遊び、鯉のぼりづくりや野菜の種蒔き等の活動に感動の声を上げている3歳以上児さんの姿が見られる頃ですが、今年は登園自粛要請へのご理解・ご協力をいただき60%の子どもさんがご家庭で過ごされている現状です。スタッフはご厚情に少しでもお応えしたいと、自粛要請が解けた後の準備やご家庭への情報発信、困難をチャンスに代える保育内容の吟味等に取組んでいます。

ご存知の通り乳幼児期にはマザリングやスキンシップ等の情愛に満ちた関わりが欠かせません。また、「子どもは子どもの中で育つ」というくらい相互主体的に関わり合いながら心身を育み、園生活をつくっていきます。この素晴らしい子どもの特性、本質には「密接」や「密集」がつきものです。感染症対策として、個々の活動、距離を置いた保育や環境の工夫、換気や戸外活動、こまめな手洗い、消毒等に留意してはいますが、そもそも保育と感染症対策は相反要因をはらんでいます。メディアでは合唱や合奏については終息予想の2年先まで自粛との声も上がっています。合唱、吹奏楽、演劇、同様の条件が当てはまる団体スポーツの全てが自粛です。園行事をはじめ、教育活動の全てを見直す必要に迫られています。夢を追いかける子どもや様々な伝統を思うと何とも言えない気持ちになります。

人間は、「生体的」、「生活的」、「成育的」、「自己実現的(夢)」等の多様な観点に加え、それぞれの考えや欲求及び生活背景等により多様な生き方をしています。「子どもと子どもと大人」、「子どもと活動と夢」、「子どもと家庭と園と社会」等、感染症によって分断されそうな諸状況及び感染症の発生段階・対応ステージ等を踏まえながら、どのような未来を描き、創っていくかが問われています。そのプロセスはいずれ子ども達が未曽有の困難に出会った時の手掛かりになることでしょう、今こそ「生命を大切にする」という法人理念に光をあて、「困難の中の豊かな保育」を探究していきたいと考えています。

『 「いきいき園」をつくろう 』のお話 

園長: すぎもと かずひさ (2020年4月 7日

『 「いきいき園」をつくろう 』のお話 

 

理事長 すぎもと かずひさ

 

「今日も園に行きたいなぁ。だってなぁ、面白いこといっぱいあってなぁ、楽しいねん。」

すべての子どもがこんなふうに呟く園でありたい。それは主体的に遊び、活動し、自らの園生活に思いを馳せて関与しつづける子ども達が創る。私達はそんな彼らを保護者のみなさんと愛情深く見守り、支え、ときに半歩先ときに半歩後ろを行きつ戻りつ、道草を楽しむように共に歩むばかりである。一緒に見る風景の有り難いこと、互いの存在のもったいないこと、味わうほどに感動的で情熱的な子ども時間の物語が始まる。

赤ちゃんの歌は愛しい。泣き声が、クーイングが心の奥底に響いてくる。歌い返す。歌で呼び合うコミュニケーションは愛(め)でたい。歌は人類の最初期からある。嬉しくて歌い、悲しくて歌い、言葉を獲得する以前から心を通い合わせる。意味よりも雰囲気を分かち合う。

子どもは踊るように遊ぶ。ハイハイで動き回る。何を見ているのかな。何が面白いのかな。子どもの見ている先に視線を重ねる。興味の対象に全身全霊で向かっていく。歩くようになると一層の探索が始まる。心と身体を総動員して活動する。この心身の一体感、全体感が子どもの真骨頂であり、直観と即興に満ちている。喜びを率直に体現する境地が素晴らしい。

キラキラの瞳を追跡する。振り返る子が居れば微笑み返す。私の笑顔をホールドにして次のステップへ進んでいく。振り返る度に微笑み返す。どこから見つけてきたのか、木片で穴を掘る。鍬だ。教えられていないにもかかわらず便利を工夫している。別の場所では木の枝を両手に擦り合わせたり、打ち鳴らしたり楽器さながらに使い始める。こんな遊びを起点に愉しい「気」が巡る。

歌うように呼び合い、踊るように誘い合う。やりたいこと、面白いことの連続である。それぞれの「意欲のかたまり」がラグビーボールのように宙を舞う。ボールがどんどん増えていく。どこへ飛んでいこうが誰が受けようが構わない。自由に離合集散を繰り返す。「場」の勢いに包まれて誰もが生のエネルギーを増幅させる。

「歌」と「踊り」は人類の最初期からあった。毎日毎日、園庭を掘り起こすように遊び回る子ども達。ある人はそんな子ども達をして「古代とつながっている」という。その心は、人工知能やロボットとの共存時代になっても人間として活き活きと生きる生命の喜びを祝福しつづけること。そんな「いきいき園」をつくろう、みんなのきで。

「子どもの純情をいつまでも」のお話

園長: すぎもと かずひさ (2020年2月28日

『 子どもの純情をいつまでも 』のお話

 

理事長 すぎもと かずひさ

 

今年も「子どもの純情」に感動し続けた一年でした。ふとしたことから興味や関心等の心情を持ち、喜びを感じるところから意欲を芽吹かせ、繰り返し楽しんで行動するうちにやがて態度として身に付けてゆく子ども達。一人一人の子どものそばにいて、一つ一つの出来事やそのプロセスを共にゆく有難くも尊い営み。何気ない日用品や植物、小動物等々の身近な回りのものやことに興味・関心を向けては指をさし、近づき、関わってゆく純情。ものを掴んだり、舐めたり、転がしたり等、関わるほどにさまざまな現象を楽しみ、面白がってゆく純情。そんな心持ちを友達の数だけ集めて、みんながそれぞれに、ときには一緒に楽しんできた一年でした。

そんな君たちの一挙一動が大好きでした。だから、君たちが今見ているもの、触れているものは何かな、何が面白いのかな、どうして面白いんだろうと興味津々見守ってきたのです。子どもの頃に戻ったように自分の子どもごころと君たちの純情とを重ねては、「こんなことも面白いかも、こんなふうにしたらどんなふうに関わり新たな世界をつくってくれるかなぁ」等と、イメージを膨らませ、存分に遊んでいる君の姿を思い浮かべながら保育環境を作り、仕込んできたのでした。そして、いつも期待以上の表情や表現を見せてくれたのでしたね。

現実社会では、事故、事件、災害、病気等々の悲しい出来事が後を絶ちません。胸が張り裂けそうな耐え難い出来事も突然やってきます。そのような中で保護者のみなさんの御一方御一方が今日まで歩んでこられた日々はどれほど価値のあることでしょう。子どもが元気に走り回る姿を見るにつけ、黙々と夢中になって遊ぶ様子を見るにつけ、この子ども達の活動の背景にある保護者のみなさんの簡単ではない日常の頑張りやご苦労を思う毎日でした。

ときに過酷な人生において子どもの笑顔の何と希望に満ちていることでしょう。誰もがよこしまな気持ちなどこれっぽっちも持たない時代がありました。誰もが友達を思い人間を愛する時代がありました。誰もがお金の価値等知らないにもかかわらず幸せを謳歌する時代がありました。その根本に「子どもの純情」があります。先日の「童心の集い」ではまさにその本質に触れ赤ちゃんの頃からの彼らの歩みに共に胸を熱くしましたね。夢を耕し、生きがいを育んでいく子ども達に、そして保護者のみなさんに心からの感謝と祝福を捧げます。

「みんなのきの歌」のお話

園長: すぎもと かずひさ (2020年1月31日

「みんなのきの歌」のお話

理事長 すぎもと かずひさ

「えんちょう(りじちょう)せんせ、うたつくってくれてありがとう~!」、可愛い声が追いかけてくる。こちらこそ、いっぱいの言葉やアイデアをくれてありがとう、やで。

3歳児クラスになると月曜から金曜日まで、毎朝・夕行われる子ども達のミーティング。今日やりたいこと、明日やってみたいことといった身近な未来への願いや希望、一日の楽しかったことや嬉しかったこと、夢中になっていること等々、子ども達が話しやすい簡単なテーマを設けて、あるいはときに自由に子ども目線で話し合う。

年齢に関わらず、話したくないときがある。無言の参加もいい。恥ずかしくてもじもじすることもある。ずっと一緒にいるから、その気持ちがちょっと分かる。もじもじするのは大切な時間。「あんな・・・、あんな・・・・」と繰り返す。安心して、ずっと待っているよ。葛藤に向き合う子どもの頑張りは、ときに雄弁な言葉以上にみんなを惹きつける。待つことの素晴らしさを学ぶ機会をもたらし、思いを交換し、気に掛け、分かち合う等の思いやりの基礎を培うひとときを与えてくれる。

勇気を出すには、どんな態度も受け容れられ、認められているといった安心感や怖れのなさが土台となる。ゆえに、そのような気持ちを誰もが持てるようになることを最優先の保育目標として掲げる。安心の風土を築いていこうとするプロセスで担任は、ミーティングの話の内容もさることながら、こういった一人一人の子どもが向き合う葛藤や困り感等の一見マイナスにとらえられがちな場がクラス全員の成長を耕す貴重な体験であることに気づかされる。一人ではついぞ学ぶことの適わない人間世界を味わい、広げていく。すべての子どもが自分のことのように友を愛し、当たり前のように尊重し合い、自然に民主的に参画・協働していくスタイルを身につけてほしいという願いが込められていく。

1月中旬になると年長児さんは、自分達が歩んできた一年を振り返り、童心のつどい(表現遊び発表会)で何をしようかと話し合いを始める。現一年生からもらった藍の種を手の平にのせてじっと見つめたあの日から、はや一年である。数々の体験を積み重ねてきた子ども達の興味・関心や体験の連続から生まれる思いや願い、発想、意見はかけがえがない。

34歳児の子どもも自分達のやりたいこと、面白いことを全身全霊で楽しんできた。そんな言葉の数々がわたしのもとに届けられての歌である。みんなのき(気)の歌である。

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